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他の研究者先生を信頼できないのはつらいことです

私、ツイッタでもこのブログでも、いろいろ人様の研究(論文・書籍)やブログ記事やSNS投稿に文句をつけることが多くて、ほんとうにもうしわけないと思っているのですが、でもそうしなきゃならないというのは本当につらいのです。おそらく多くの人が、江口はまともな業績もないのに、悪口ばっかり言ってると思っていて、私もそう思っていて恥ずかしいのですが、でもやっぱり書かないとならないことはあると思うのです。フェミニズムやジェンダー研究に関心があったので、そういう研究にコメントつけることが多くてアンチフェミニストだって思われてるかもしれないけど、そうではないのです。でもそうした研究のまわりには問題が多いと思う。これだけはわかってほしい。

そういった参照の不十分、あるいはねじれた紹介はこのブログで何度も指摘してきました。いまとなっては、これはやはりジェンダーまわりの国内の研究者たちのシステミックな(つまり研究者たちに染み込んでいる)研究慣行、あるいはSNS/ネット活動での慣行ではないのかと思わざるをえないのです。(上野千鶴子先生の「ウソはつかないが都合の悪いことは隠す」という発言が一時期話題になってました。)

20年ぐらい、フェミニズムやジェンダー学を勉強してきたわけですが、文献の紹介や参照まわりではずっといやな思いをしてきました。 いまとなってはジェンダーまわりの文献を見るときには、いちいちその典拠を確認せざるをえない 。そのままでは信頼できないのです。 そんなことは他の分野では考えられない と思う[2]。

私は業績もないのに運よくテニュアを獲得させてもらって、勝手なことをして生きているわけですが、多くの研究者の先生たちが真面目に勉強しているのを知っているし、それをリスペクトしています。でも なんでジェンダーまわりだけこうなの? 他もそうなの? まちがいはあってもしょうがないけど、まちがいを指摘されたら、参照だけは修正してほしい。学者なんだから。おたがいに典拠をチェックしてほしい。学者なんだから。あなたたち、ほんとは他人の意見に興味ないんじゃないですか?もっと他人の意見に関心もちましょうよ。

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