我らが楽しいインターネットでは、定期的に「強い女」論争が巻き起こる。
流れとしてはおおむね、
・大人しそう、物静かそうな女性キャラの絵がバズる
・一部の特色あふれる性格をした女性たちが 「男はこういう従順な女ばかり求めて強い女を嫌う」とキレ散らかす
・ 「強い女」なんて男は大好きだが?」と男性側から例があれこれ挙がる
・それは「強い女じゃないだろ」的な反論がまた一部の女性たちから挙がる
という感じ。最近もあったし、みなさまもどこかで一度は見たことがある流れじゃないだろうか。
どうしてこんなことになるかというと、実は、原因ははっきりしている。
男性の言う「強い人」と女性の言う「強い人」が性質として真逆だからだ。
男性の言う「強い人」は、
・自分の欲望や感情に流されることなく、課せられた役割や責任をまっとうする
である。
これはどうしてかというと、逆に言えば「自然にしていると、男というのは周りに合わせず自分勝手に振る舞ってしまう」からである。
だから、それを抑えて周りのために振る舞えるのが成熟の証であり、すなわち強さである。
一方女性の言う「強い人」は、
・周りの意見や事情に流されることなく、自分のやりたいことを貫ける人
である。
これはどうしてかというと、逆に言えば「自然にしていると、女というのは周りに合わせて自分を押し殺してしまう」からである。
だから、それを打ち破って自分の意見を言えるようになることが脱皮の象徴、すなわち強さである。
これらを踏まえた上で、
「物静かで穏やか、自分の意見はあまり言わない。周囲を助けながらやるべきことを黙々ときっちりこなして責任を果たす人」
を考えてみると、男性の間では「間違いなく頼れる立派な人=強い人だ」として評価される。
一方で女性からすると、「周囲に従順で自分の意見を言えず、都合よく使われる情けない人=弱い人」に映ってしまうのだ。
なので、そういった女性が男性に評価されている様子は、他の女性にとっては「男の都合の良いように動く女と、だからこそそれを褒めそやす男ども」の図になってしまうわけである。
そしてキレる。
逆に女性が言う「強い女」が男にとってはピンとこない。女性側がスローガンとしてよく掲げる、いわゆる「わきまえない女」である。
「周りに合わせずとにかく自分の意見を押し通し、かといって周囲を助けることはせず自分の仕事だけ終わらせて趣味に没頭!」
みたいなタイプは、職場にいたら男性間では「口だけ立派だが自分勝手で最低限の成果しか出さない、信用できないやつ」と評価される。
しかし女性としては、「自分を大事にでき、周りにとっての都合の良い存在にならずにいられる強い女」のロールモデルだ。
女性側が「ちゃんと「強い女」を好けよ」と言うときは主にこういうタイプが想定されているが、男としてはそんなのが「強い」わけがないのでまったく違うタイプを「強い女」の例として挙げる。
そして女性側は「だからちげえっつの! やっぱ強い女を認めたくねえんだな、男には都合悪いからw」とキレる。
これの繰り返しがインターネットの地層にはいくつも積み重ねられている。
……などという文章を読んで!
「いやいや、女からしても周囲を助けながら自分の仕事を責任持って全うする人間は強い人だよ」
と思う女性も多々おられると思う。
それは正しく、そしてあなたがたは社会の中で責任を全うしている方々なのだ。
どういうことかというと、その特性上女性は「周りの意見や事情に流されることなく、自分のやりたいことを貫ける人」と認識しがちではあるけれど、
社会に出て真に責任ある立場でまっとうに職務をこなすようになると、
「ああ、こうやって周りに望まれること=自分の責任・役割をちゃんと果たす人々がいるから社会は成り立っており、それはたいへんなことで、だからこそそれができる人は強い人だな」と考えるようになる。
現代社会というのは原理的に、誰かが自分の責任を果たし合った結果で出来ているからである。
つまり、「周りの意見や事情に流されることなく、自分のやりたいことを貫ける人」をこそ強い人だと思ったままの女性というのは、責任ある仕事をしたことがなく、その立場に就いたこともない女性たちなのだ。
実際、その証拠の一つに彼女たちの共通点として、仕事や社会についての認識が妙に幼いことがあげられる。「そんなもんプロがすでに思いついてるわ」というようなアイデアを褒めそやしていたり、「たとえ自分にどんな事情があったにせよ職場でしていい振る舞いじゃないだろ」という私やってやったぜ系エピソードを自慢していたり。いいとこバイト感覚の分解能で社会を見ている。
あなたが暇なら、物静かそうな女性キャラにキレ散らかしている女性のアカウントを見つけ、ポストを眺めてみると実感できると思う。
ひとつの観点からすれば、彼女たちは弱者女性と呼ぶこともできるだろう。
そして悲しいかな、彼女たちはだいたい彼氏・夫からモラハラされている。
説明する必要もないことに、モラハラ男が彼女たちの思う「強い」にばっちり該当してしまうからである。男性からすると「なんであんなクズと付き合っているんだろうな」という感想になるが、彼女たちからすれば「強い男を選んだ」のである。
もちろんモラハラで不満はバリバリ溜まっていくが、自分の彼氏・夫は「強い」ので逆らえないし文句を言えない。
鬱憤がたまったままスマホをスイスイしていると、流れてくる従順そうな女の絵。
自分に重なって嫌になる。なのに、リプ欄にはそれを褒めそやす男たちの投稿にあふれている。いいねもたくさんだ。
男は結局そうやって自分にとって都合の良い女が良いんだろ! 私が彼氏・夫に言いたいことが言えないのはそういう社会の雰囲気をお前たちが作ったからだ!
かくして、怒りにまかせてリプをする。
自分の鬱憤を他責思考にスライドさせ、関係ない人々に体当たりしていくその姿、なにかに似ていないだろうか。
そう、ぶつかりおじさんである。つまり彼女たちは言わば、インターネットぶつかりおばさんなのだ。
奇遇にもぶつかりおじさんがよく駅に出没するように、彼女たちも駅広告によくキレている。