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左翼の先生方は革命の為なら殺人も厭わない

昭和43年、日本大学の紛争で、左翼が校舎の4階から投げたコンクリートの塊が機動隊員に直撃した。機動隊員の頭は砕けて死んだ。遺されたのは妻と4歳と6歳の子供だった。頭が砕けてるので、葬儀の日、子供は棺の中にいるのが父親と認識できず、泣くこともなく別れを済ませた。

@naniwacchi

左翼に殺された機動隊員の遺児は、現在は54歳と52歳になるのかな。「警察官は公権力だから人間としてイーブンな存在じゃない」と宣って、警察官を差別して左翼の暴力を肯定する大阪府立大学の住友陽文、お前は一度この人のとこ尋ねて同じこと言うてみろ。

@naniwacchi

日本の機動隊って、ぬるいっちゃぬるい。昨日、昭和43年の日大紛争で、左翼が4階から落としたコンクリートの塊が直撃して機動隊員が頭を砕かれ死亡した件をツイートしたが、その事件が起きる前は学生ゲリラのことを「学生さん」と呼んでいたそうだ。

@naniwacchi

敢えて葬儀の話を書いたのも理由がある。頭を砕かれてしまって自分の父親が死んだと認識できず母親の横に座っている遺児を見た機動隊員の中に、「これはいかん」と体を震わせる者がおり、そこからようやく日本の機動隊は対学生ゲリラに本腰を入れるようになったとされるターニングポイントだったから。

@naniwacchi

ところが昭和45年に「瀬戸内シージャック事件」が起き、人質を取って船を乗っ取った凶悪犯を狙撃した警察のスナイパーが訴えられる。そして直後に起きたあさま山荘事件では「犯人生け捕り」の無茶な命令が下り、警察官が犯人に頭を撃ち抜かれてしまう。

@naniwacchi

あさま山荘で左翼に頭を撃たれて殉職した警察官の最後も壮絶なのだが、一命をとりとめた警察官の中にも散弾を顔に浴びて眼球を失った隊員がいる。脳に近いところに球が入ったため摘出できず、鉛の毒が溶け出して後遺症にも苦しめられた。

@naniwacchi

この方は、撃たれた当時26歳。後遺症に苦しみながらも警察官を続けるが退職。事件から20何年か過ぎたころに、自宅で発作を起こして呼吸困難に陥り、助けを呼ぶこともできぬまま苦悶の中で果てた。

@naniwacchi

ろくでなしの殺人左翼を甘やかしたがため、殉職した人はもちろん。その周りにいる人に至るまで、無数の人生が狂ったんだ。ああ言えばこう言うで後付けで「左翼の暴力も許さない」とかいってる住友陽文は、未だに左翼の暴力を批判せず、権力ばかり論っている。奴らは決してこんな話はしない。

@naniwacchi

成田闘争の東峰十字路事件で、左翼に殺された警察官の一人は、遺体に顔が無かった。生きたまま火炎瓶で焼かれ、のたうち回るところを鉄製の槍で喉から脳天まで貫かれたとされる。あの手合いに一瞬でも隙を見せると、何をされるか分かったものではない。

@naniwacchi

そういう運動やってた奴ら、今は60代後半とか70代になっていて、今も沖縄にいるよ。また同じような事件が起きない確証なんて何処にもない。殺されてからでは遅い。

@naniwacchi

かつて青春を学生運動に捧げた彼らの最後の花舞台が沖縄なのだろうか。

くっそ迷惑な話だが。