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氷河期世代支援はいらない。

何が悲しくて50をこえてから学び直さなきゃいけないのだ。それこそ「氷河期世代は何も学んでいない」「空っぽの世代」と言っているようなものだ。かつて基礎化粧品SK-IIのCMで桃井かおりさんが「30代まではいいのよー」と仰っていたのは正しい。40代後半以降になって「今から助けますよ」と言われても手遅れである。好きだったアイドルがおばはんになってから脱衣した写真集を出すのとよく似ている。それどころか、救えないのを知っていて助けるポーズをキメているように思えてならない。「私たちはやってます」というアリバイ作りなのだ。

前にもここで書いたけど僕のような氷河期世代でも運よくそこそこやってこられた人間から見ると、あの厳しい時期に落伍して以来20数年間ノーチャンスだった人の存在が正直、信じられないけど、データに出ているのだから存在するのだろう。つーか氷河期世代を支援するなら公平に世代全員を支援してもらいたい。当時定職に就けた人、就けなかった人、その状態が今まで継続している人、みたいにバカな分類をしないで欲しい。定職に就いた人間もそうでない人間もそれぞれが苦労してきているからだ。うまくいかなかった氷河期世代の人たちをピックして支援し、その費用を、なんとかやってきた氷河期世代に負担させるのなら意味はない。そんな氷河期世代支援などいらない。世代を支援するなら世代全体にしないと不公平感が出る。なんとかやってきた人間の苦労を軽視している。公正にやればよい。時に公正さは残酷なものだ。ニンテンドーSwitch2の抽選のようにね。でもそれが人生というものだろう?

何もかも手遅れ。アリバイつくりの罪滅ぼしの支援はいらない。支援する金があるなら若い世代に投じて欲しい。若者は未来だ。そして氷河期世代の僕らに出来ることは可能な限り長生きすることだ。大昔に社会か公民の教科書に載っていた「高齢者ひとりを現役世代何人で支える」的な記述を覚えているだろうか。分母が現役世代で分子が高齢者。今後、現役世代一人当たりの負担は大きくなり分母と分子は1対1に接近していく。つまり氷河期世代を支えてくれる若者に投資することは未来の氷河期世代、僕ら自身を救うことになる。クソ役に立たない延命処置のような氷河期世代支援策より効果的な支援になるだろう。支えられる側は軽い方がいいし期間は短い方がいいだろうけど、悔しいから長生きしよう。支援を求めるより私怨を晴らすことを生きるモチベーションにしよう。(所要時間24分)

MEMO: