女性の体にとってセックスは快楽じゃない。
■ 詭弁の考察
女性の体にとってセックスは快楽じゃない。
母体を危険に晒して数ヶ月行動不能になって栄養を多く必要として数年身動きが取れなくなる危険がある行為
男性の体にとって労働はレクリエーションじゃない。
父体を危険に晒して一生涯消耗して酷い時には不具になったり死んだりする危険がある行為
危険が二回出てきて気持ち悪い
他の哺乳類より出産の母体への負担がかなり大きい。子供は未熟なまま生まれてくる。
人類は他の哺乳類と違って社会的な医療やサポート体制がある。
近代は医学の進歩によって産褥死亡率は0.004%。
餌を運んで世話をして守ってくれる存在がいなければ、母体が死んで終わりになる。
元増田を含む人間のオスは妻子に餌を運んで世話して守っているのでは。
だから女性の性欲というのは、安全で清潔で餌を運び続けて世話をする男がいる、いま妊娠しても大丈夫、から始まる。
男心の説明も大事だが女心の理解も必要じゃないか?
そもそもほぼ100%の確度で避妊を達成できる現代に
妊娠を問題にしてセックスの応否を論じるのは詭弁の色合いが強い。
■ 問題の焦点
結局この問題は
自分が積極的にやりたいことでなくとも
相手の幸福の為に身を切ったり付き合ったりする姿勢があるかないか
ということだろう。
男性は一部のカスを除き
自分だけでなく妻子を食わせられるほどハードに働き
稼ぎのほとんどを自分ではなく妻子に注ぎ込むという
まさに身を切る貢献をする。一生涯する。
男性の身体も耐久消費財であって
使っていけばすり減るし戻ることはない。
それでも「俺は気が向かないから」 「俺の大事な体は俺だけが使う」なんて言って
妻子を養わないような男は男からもカスとして遇される。
そこで
女はそりゃあセックスに気が向かないだろうが、
これと決めたパートナー相手に身を切る貢献をする気があるのかないのか。
■ 地獄のような心
少なくともその気がないことを大威張りで表明するのは了見がおかしい。
男でそんなことを大威張りで表明する人間がいたら
同性からすら軽蔑を受けるし
女からは非難轟轟
社会制度によって貢献の取り立てすら受ける。
であるのに何故女は「貢献をするかしないかは自分の気分次第!」などと恥ずかしげもなく放言するのだろうか?
セックスに気が向かない、そんなのは当たり前だ。
労働や扶養に気が向かない、そんなのは当たり前だ。
一人だったら避けたいようなことでも喜ぶ家族やパートナーの顔を思い浮かべて自分の身を切るんだろう。
もしもそこに自分の喜びが無いんだったら
その家族やパートナーはさっさと解散して別の相手を探すか一人で生きたらいい。
現代日本では1人で生きている人間はいくらでも居る。
ここでの一番のカスとは
相手の体の切り身は平然と受け取りながら
自分の体を切ることは「気が向かない」などとほざく人間だ。
人から搾取しながら自分はむしろ被害者のつもりで
「返報は自分の気分次第だ」と放言して不機嫌を撒き散らすという
上弦末席ぐらいは貰えそうな負のポテンシャルを秘めたアホども。
しかし結局こういう人間の人生もイライラとして暗い。
スクルージが幸せになれることなどあろうか。
■ 進歩思想のバグ
何故一部にこういう鬼女が現れるようになったかと言うと
・自分を大事にする
・性の自己決定権
のような概念を野放図に受け取った結果と推測できる。
自分を粗末にしないのは結構。
自分で決定権を持つのは結構。
しかしそうして大事にしたものは
いつか自分で選んだ大事なもののために切り取って張らなければならない。
いつまでも抱え込んでいたって朽ちるだけだからだ。
「大事にしなさい」だけ教えて「どこかでそれを張るときがきますよ」とは教えない。
進歩思想はバカの善意によって出来ているため常に穴だらけの片手落ちであって
こうした抜け・漏れ・バグが山積している。
進歩思想にすがるような人間はフルパッケージのお任せ道徳を求めているため
こうした洞察や分別や要領、適切なデバッグ能力を欠く。
出来損ないソフトが人の間に地獄を生む。
地獄のような心をもって暮らしていれば
家族がいても孤独にも不幸にもなれる。
独居はスクルージの必要条件ではない。