■ 1. 左翼の定義
- 定義の難しさ: 政治における概念は相対的であり、「左翼」の定義も時代や勢力によって異なる。
- 公案警察の定義: 日本共産党よりも左に位置する勢力を「極左」と定義している。共産党自体は「左翼」とされる。
- 国際的基準: 世界的にも、武力革命を主張するか否かが、共産党(左翼)とそれより左(極左)を分ける基準となっている。
- 左翼内部の対立:
- 左翼から見れば、共産党は「右翼日和見主義」となる。
- リベラル勢力から見れば、共産党は「極左」となる。
■ 2. 日本左翼の3つのターニングポイント
- ターニングポイント1:共産党の権威失墜(1955年)
- 共産党の権威: 元々、日本共産党はコミンテルン(国際共産党)に承認された唯一の革命指導機関「前衛党」としての権威を持っていた。
- 権威の崩壊:
- 1950年代の武装闘争路線の失敗と党の分裂。
- 1956年のスターリン批判により、ソ連共産党の権威が失墜。
- 「前衛党レース」の勃発: 共産党の権威崩壊後、無数の新左翼セクトが「我こそが新たな前衛党」と名乗りを上げ、唯一絶対の前衛党を目指す内ゲバ(党内闘争)が激化した。これは宗教戦争に等しい様相を呈した。
- ターニングポイント2:新左翼の変質(1970年)
- 華青闘の告発: 1970年の「7・7人民大集会」で、在日中国人学生組織の華青闘が日本の新左翼に対し、「党派主義(セクト主義)と自己中心性」を厳しく批判した。
- 本質のすり替え: 新左翼は本質的な批判から目をそらし、代わりに「差別」や「人権」といった聞こえのいいテーマに議論をすり替えた。これにより、自己改革を怠り、アリバイとしてこれらの問題を掲げるようになった。
- リベラルの起源:
- 新左翼は、華青闘の告発を受けて、日本人が革命の主体となり得ないという結論に至った。
- その結果、革命の主体を「小さな主体」、すなわち中国人、アイヌ、障害者、性的マイノリティ、女性といったマイノリティに求めるようになった。
- 現在のリベラルが掲げるポリティカル・コレクトネスやマイノリティ運動は、この時の新左翼の変質に端を発している。
- ターニングポイント3:労働組合の崩壊(1987年)
- 左翼の基盤: 昭和の日本左翼は、労働組合の強大な力に支えられていた。特に総評と国鉄の労働組合は、日本左翼の物理的な基盤であった。
- 国鉄の分割民営化: 中曽根康弘内閣による国鉄分割民営化は、左翼の基盤を弱体化させることを目的としていた。この政策は、最大勢力を持つ極左セクト・革マル派と政府が利害を一致させて共闘したことで成功した。
- 基盤喪失: 国鉄の解体により、左翼は労働者という支持層を完全に失った。これにより、経済的な階級闘争から脱し、自己の精神性を満たすためのアイデンティティとしての左翼、あるいは目的を失った「怪物」へと変質していった。
■ 3. 結論:日本左翼の衰退
- 衰退の要因: 上記3つのターニングポイントを経て、日本左翼は以下の要因で衰退した。
- 1. 前衛党という権威の崩壊と、それによる無益な内部抗争。
- 2. 本質的な批判から逃避し、問題をすり替えて自己変革を怠ったこと。
- 3. 労働組合の崩壊による、物理的・基盤的支持層の完全な喪失。
- 革マル派の特異性: 多くの左翼が衰退する中、革マル派は国鉄の分割民営化で政府と共闘することで生き残り、現在もJR関連の労働組合に強い影響力を持ち続けている。彼らは徹底したセクト主義と冷徹な戦略によって、労働者を支持基盤から切り離し、政党内(立憲民主党など)への浸透を続けることで、その勢力を保っている。革マル派は多くの左翼から「極左」として忌避されるが、結果として、現代に「生き残っている」数少ない左翼の一つである。