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表現の自由は好き嫌いの問題ではないんだが…… 人から好かれたければ嫌..

表現の自由は好き嫌いの問題ではないんだが……

人から好かれたければ嫌われるようなことはしないし言わないというのは当たり前のことだし、それによって起こり得るであろう不利益を当然受け入れた上で自己責任に基づいて表現するものだと思うんだよね。

いわゆる表現の自由戦士側から「嫌うな」という要求が出てきたことなんてあるんだろうか?(「大勢の人がこの表現を嫌いというが、実際には嫌いという人は少数派だ」という反論はしばしばなされるが、それは「お前はこの表現を嫌ってはならない」という意味ではなく、「お前は多数派のつもりでいるが、実は少数派だ」という意味だろう)

いわゆる表現の自由戦士側が言ってきたのは「撤去すんな(させんな)」「差別すんな」「法規制すんな」とかでしょ? これはまさしく自由権とか平等権とかいった人権の問題じゃない?

私が思う「表現の自由が無い」というのは何か国に対して意見を表明しただけで急に拘束されて処刑されるみたいな独裁的な国とかの話であって、日本では発言によってある程度の不利益は受ける前提で自己責任の元で表現する自由は認められていると思うんだよ。

そんな「女性の権利が侵害されてるってのはアフガニスタンとかサウジアラビアとかの話であって、日本では完全な男女平等が成し遂げられているでしょ」レベルの話をされても困るというか……

たとえば、地方政府がBL漫画を「有害図書」に指定したせいで女性漫画家が作品を出版流通のルートに乗せられなくなった、とか、女性アーティストが自分の身体の一部を象ったアート作品を作成して公開したら警察に逮捕されたとか、モデルのいないエロ絵をAIに描かせてそれを売ってたら逮捕されて実名報道されたとか、漫画の広告を新聞に載せたら国連機関から圧力をかけられたとか、地方議員が「犯罪を助長する」という理屈で圧力をかけて警察と女性VTuberのコラボを中止させたとか、そういうのは「不快を表明された」に留まらない表現の自由への侵害でしょ? 「不快に思われた」とか「嫌われた」とかではない具体的な実害が出ているよね?

そして、たとえば国際条約において「被害者の存在しないフィクションの児童エロ絵・エロ小説」を禁止する規定が設けられたり、欧米の一部の国ではそれらを作成・所持してるだけで逮捕されたりすることは、まさに現在進行系で先進国において表現の自由が奪われてる・侵されてる例でしょ?(日本は強い外交努力によって「非実在は取り締まらなくてもいいよ」条項をねじ込むことに成功したから、この件については表現の自由が守られてる方だけれども)先進国だから表現の自由の問題は存在しない、なんていうのは端的に幻想だよ。

あと、国に拠らない民間からの撤去要求を表現の自由への侵害とみなすか、という問題もあるけど、その理屈だとどうなるのかな? たとえば民間の弁護士さんとか学者さんとかが献血ポスターのイラストを強く問題視し糾弾して撤去させたり、右翼団体が従軍慰安婦の展示会に文句をつけて中止させたり、宗教団体を揶揄するような漫画が宗教団体からの抗議を受けて発売中止になったり、エッチなコンテンツを扱ってるサーヴィスがクレジットカード会社から決済を断られたせいで立ち行かなくなったり、そういった案件は「公権力のやることじゃないから表現の自由への侵害ではない」って言えるかな?

肉フェスやコミックマーケットの近くでヴィーガンの人たちが屠殺写真を掲げて抗議運動をしたことがあった。彼らはもちろん嫌われることは覚悟しているだろうし、彼らを嫌うことには何の問題もない。でも一部の人は「こういうのって禁止できないの?」という素朴なお気持ちを吐露していた。表現の自由を侵したいという素朴なお気持ちは、いつだって私たちの身近にあるのだ。だから私たちは、警戒してもしすぎることはない。「屠殺写真」が他のものに変わり、肉フェスが別の場所に変わる未来は、意外と遠くないかもしれないのだから。

■ 追記

書いた直後はぜんぜん伸びなかったのに今になって100ブクマ超えとかどういうことなの……やはりホッテントリは水物。

「出版差し止めを要請するのは言論弾圧ではない」という意見がよくわからない。言論に対する自殺教唆や脅迫だと思うが。「まさか本当に死ぬとは思わなかった」ととぼける立花孝志みたいな主張に見える。

まあ「他人に向かって『死ね』って言うこと自体は殺人じゃないよね」って言われたら「そうですね」って話にならざるを得ないと思う(言葉それ自体に殺傷能力があるわけではないから)。たとえば「あべしね」みたいなのも表現の自由に含まれるというのは当然だろうし。それで人が死ぬことを望んでないとか言われても「は?」ってなるけど。

『非実在児童ポルノ』の取り扱いは[個別の国々の公共の福祉]との折り合いでしょ。

こ、公共の福祉……? 公共の福祉ってたとえば「凶器準備集合罪は集会の自由を制約しているが、凶器を持って集まる自由が制約されるのはやむを得ない」とかそういうレベルの話なんだけど、実在人物をモデルにしたわけではないエロ絵やエロ小説を平和的に作成したり所持したりすることを法規制することが、公共の福祉……? 他人の人権への侵害やそのおそれがどこにもないのに? エロ関連になると自由や人権をかなぐり捨てるひと多すぎて怖い。

表現の自由とは、公権力から言論統制されない検閲を受けないといった自由を定義している。だから、その自由があるといって何をしてもいいわけではない。行動の自由があっても人を殴ってはいけないのと同じ。

素晴らしい危害原理の要約ですね。我々には行動の自由はあるが、しかし、他人の自由や権利を脅かすことは認められない。逆に言えば、我々には他人の自由や権利を脅かさない範囲で最大限の自由がある。J. S. ミル以来正統なリベラリズムの教義です。ところで殴る蹴るのような行為と異なり、文章や絵の発表は「それ自体では」誰の何の権利も侵害していないことは明白ですね? つまり、原則として表現はすべて自由であるべき、という結論がリベラリズムからは導かれるわけです(著作権侵害とか誹謗中傷とかそういう個別具体的な権利侵害がある場合を除いて)。したがって、完全なフィクションのロリペド絵を取り締まるカナダとかの欧米諸国はリベラリズムの原則に背いている、という結論になります。

突き詰めると独裁国家の場合独裁者が、民主政の場合、多数派がこの表現は駄目と言ったら法律で禁止されないか?例えばアッラー神の冷やかし、プーさん、小学生位の裸、毀損された死体、日本では性器とか。

事実としてなら、はい、そうですね、独裁者や多数派が「この表現は駄目と言ったら法律で禁止され」ます。ただし、それは不正義です(他人の財布を掏り取ったり他人をナイフで刺したりすることも物理的には可能(あなたや増田もやろうと思えば今日にでもやれること)ですし、それを行っているひとや行ったけど罰せられていないひとも大勢いるのは事実ですが、それは不正義ですよね?)。

ゾーニングを徹底すればって条件付きで許されているものを誰でも見えるとこに出すがちょいちょい現れる 1人のオタクから言わせて貰えばそういうの本当にやめてほしい

まずもってあらゆる表現は自由なのであってほんらい「許し」は必要ないんですよ、っていうところから説明しないと駄目ですか……?