■ 1. 筆者の「学歴」に対する見解
- 関心なし: 筆者は「学歴」に全く関心がなく、採用の基準にもしていない。これは金銭的な理由で進路を選択してきた自身の経験に基づく。
- 「学歴」は過去: 学歴は「過去の歴史」に過ぎず、「現在」や「未来」の能力を保証するものではない。
- 人物考査: 重要なのは、目の前の人物が「いま、ここ」で何ができるかという「職能」である。
■ 2. 日本社会における「学歴」と「職名」
- 特異な慣習: 日本、特に医学界や医療界では、「職名」や「出身大学」が非常に重視される。
- 人間関係の基準: これらの情報が、相手への態度(タメ口か敬語か)を決定する基準になっている。
- 国際社会との違い: 海外では、職名や学歴よりも「何ができるか」という「職能」のみが問われる。チームメイトの職種を後から知ることも珍しくない。
■ 3. 政治家と医学界の課題
- 政治家の職能欠如: 田久保眞紀市長の学歴問題は、どうでもよいことに嘘を重ねる不誠実さを示しており、これは政治家としての「職能欠如」の証である。
- 医学界のリーダー選出:
- 選考基準の偏り: 大学医局のリーダーである教授は、主に過去の「基礎医学の研究業績」で選出される。
- 職能のミスマッチ: 研究業績で選ばれた教授が、臨床や教育のリーダーも務めるため、「臨床三流」「教育は適当」という状況が生まれてきた。
- 「できます」の罠:
- 教授は全方位的に責任を負うが、一人の人間が研究、臨床、教育、教室運営すべてに秀でることは不可能である。
- 凡人が「できます」と全方位的に宣言すると、仕事の基準が下がり、三流の仕事でも「できた」ことにしてしまう。
- 解決策:
- 教授は自分の「できない」ことをカミングアウトし、適材適所で役割を分担すべきである。
- 表面的な「職能」(例:「外来を担当している」)を、真の「職能」(例:「臨床ができる」)と混同してはならない。