■ 1. 縄文ブームへの違和感
- 天邪鬼な反応: 大多数が「縄文時代は素晴らしい」と同意見になることに反骨心を覚え、一つの意見に集約されることに疑問を持つ
- 専門家への懸念: 歴史好きや教える立場の人が「縄文は素晴らしい」と断定することに対し、「そんなこと言って大丈夫なのか」という危機感を抱く
- 素朴な意見との違い: 歴史が趣味でない人の無邪気な賛美は流せるが、知識があるはずの人の断定的な発言は看過できない
■ 2. 縄文平和説の根拠と問題点
- 一般的な主張: 縄文時代には武器がなく、人骨に戦いによる損傷が見当たらないため、戦争がなく平和だったとされる
- 弥生時代との対比: 弥生時代には武器があり、戦争で損傷した痕跡が人骨に見られることが、縄文平和説を補強する材料とされている
- 考古学界の見解: 縄文時代に大規模な紛争はないが、小規模な摩擦や衝突があった可能性があるという注釈付きの定説である
■ 3. 生物学的視点からの疑問
- 人類の特別視への批判: ホモサピエンスを特別視せず、あらゆる生物の一つとして見るべきである
- 生存競争の必然性: あらゆる動植物は生存のため時に戦うことは自然であり、縄文時代の人類が例外とは考えにくい
- 「クニ」以前の時代: 現代的な意味での戦争はなくとも、人間同士の諍いや命の駆け引きが皆無だったとは言えない
■ 4. 考古学研究の現状と将来性
- 新発見の続出: 近年の発掘調査の質の向上により、人類史や古代史を塗り替える発見が後を絶たない
- 日本考古学の歴史: 明治10年頃のエドワード・モースによる大森貝塚発見が端緒で、実績はわずか150年ほどである
- 夜明けの段階: 調査による研究と考察は終わることなく、むしろ今が本格的な夜明けの時期である
■ 5. 有珠モシリ遺跡の発見
- 争いの痕跡: 北海道の縄文時代晩期の遺跡から、集団間の争いが原因とみられる傷痕のある頭蓋骨が複数発見された
- 詳細な分析: 約2400〜2500年前の11体の人骨のうち、8体の頭蓋骨に石斧や鈍器による損傷があり、5体は致命傷だった
- 弥生時代との関連: 西日本で弥生時代に移行していた時期と重なるため、戦争の智恵を持つ人々の移動が影響した可能性がある
■ 6. ユートピア像への警鐘
- 単純化への批判: 一つの発見で縄文平和説が崩れるとは思わないが、ユートピアのような世界を描き信じ込むのは行きすぎである
- 人間の本質: 人間は争うときは争い、痛い思いをして初めて争わない方法を考え始める
- 「和」の成り立ち: 日本民族の「和」も、そうした経験を通じて生まれ育ってきたのではないか
■ 7. 平和の定義の難しさ
- 答えのない問い: 何を持って平和とするのかは答えがないため、平和という言葉を安易に使うことができない
- 筆者の平和観: あらゆる生命を必要以上に損なわない世界だが、命は殺生の上に成り立っているため実現が難しい
- 現代日本の矛盾: 戦争をしていないが、それを平和と言い切れるかは疑問である
■ 8. 筆者の縄文観
- 興味の始まり: 40代半ばに遺跡や発掘物への興味から縄文時代に関心を持った
- 文化の評価: 縄文時代には文化があり、「原始人=野蛮」というイメージを覆すもので、学ぶべきことは多い
- 相対的な価値: しかしそれは江戸、鎌倉、平安など他の時代にも学ぶべきところがあるという意味であり、縄文だけが特別ではない