今の若い人には、歴史上の出来事だろうが、私が子供の頃には、共産主義にかぶれた日本人の若者が、数々の冷酷な事件を引き起こしていた。
テルアビブ空港で乱射事件を起こし合計26人の民間人を殺害したり、クアラルンプールでアメリカとスウェーデンの大使館を襲撃する事件を起こしたりした。また、よど号事件やダッカ日航機事件などのハイジャック事件や、東京駅周辺のビジネス街で企業に対する連続爆破事件なども引き起こした。
そんな中で最も残忍な事件は、浅間山荘事件に至る直前に、仲間12人を粛正した山岳ベース事件だ。
彼らは、社会を共産主義化するためには、まずは自らを社会と戦う戦士に変えなければならないと言い、各自に自己批判を求めた。それが不十分な仲間に対しては、自己批判を助けるとの名目で集団リンチを加え、死に至らせた。中には、仲間を死刑にすることが革命戦士への道だと追い詰められ、殺人に手を染めた者もいる。
ここから分かることは何か。社会には、権力批判に陶酔した挙句、異なる意見を述べる者を許せなくなり、徹底的に攻撃しても構わないと思い込む人がいるということだ。このような人は、自分に向けられる批判には耳を傾けることなく、権力側の抵抗とみなして、益々批判を強める。実は自分が歪んでいて世間から孤立しているだけなのに、孤高の戦士であるかのように思い込み、更なる自己陶酔に陥る者もいる。
共産主義は、国家が人々の欲望をコントロールしなければ成り立たない仕組みなので、一部のエリートが国民を監視し情報を統制することで、専制主義的に管理する国家にならざるを得ない。そのエリートが神のような人格者ならば良いが、そんな人間は見つからない。結局、上記のような歪んだ戦士たちが管理する社会になるのだとすれば、それは実に恐ろしい社会だ。