松本人志が終わった
日本のお笑いには昔から、観客を「身内化」する傾向があった。
だが、復帰後の松本人志は、その傾向を極限まで推し進め、完全に境界を引いてしまった。
信者か、そうでないか。
松本がどれほど面白いことを言っても、
それを信者が「さすが松ちゃん」と称賛する構造そのものが、笑いを無効化している。
外から見れば、それはもはやカルトだ。
松本を芸人として楽しむには、内側に入るしかない。
しかし、そのためには次の二つの条件を受け入れなければならない。
①松本の過去のスキャンダルを一切不問にすること。
②月額1000円だかを払うこと。
この二つを超えた先にようやく内輪の笑いが待っている。
そしてその構造の中で、松本は固定化された信者から小銭を回収しながら生きながらえる。
世の中によくあるビジネスモデルの一つとして完結した。
今までありがとう。
昔は面白かったよ。