■ 1. スーパー戦隊シリーズ終了の背景
- スーパー戦隊シリーズが終了することについて、終わって当然という認識である
- 理由:
- 味方5人を作らなければならず、制作費が大変である
- 子供がどんどん減ってきている中で子供番組としてあの作りは無理である
- 仮面ライダーが残るため等身大ヒーローがなくなることはないが、1つの時代の終わりである
- 作品数のカウント: 秘密戦隊ゴレンジャーから始まり、忍者キャプターを入れるとちょうど50作品になる
■ 2. 個人的に好きな戦隊シリーズ
- 真面目に見ていたのは五星戦隊ダイレンジャーまでである
- 最もクライマックスと感じるのは五星戦隊ダイレンジャーで、脚本をよく作ったと評価している
- 好きな作品:
- バトルフィーバーJ: 敵ロボットが出てくる辺りの巨大感や、ゴレンジャーの流れの中にどうやって巨大ロボットを出すのかというスタッフの迷いが感じられた
- 太陽戦隊サンバルカン
- デンジマンの頃は少し冷めていたが、ダイナマンまでぐらいは割と好きである
■ 3. 五星戦隊ダイレンジャーの深い思想性
- 作品の基本設定:
- 正義の気力を使うダイレンジャーと悪の妖力を使うゴーマとの戦いである
- 中国拳法がテーマで、中国思想では全てを陰と陽に分け、元々1つの力が陰と陽に分かれ、この陰と陽のお互いの戦いの結果、いろんなものが生み出されると考える
- 最終回の展開:
- ダイレンジャーは悪のボス・シャダムを倒すが、シャダムの全身がドロっと崩れて泥人形だったことが判明する
- ナレーションで「こうしてゴーマは滅んだ」とあり、みんなで相談してダイレンジャーを解散する
- 最終回で50年の歳月が流れ、全員が爺さん婆さんになっている
- 東京駅の地下にあるダイレンジャーの基地でダイレンジャー同窓会をやっている
- 主役が現れて「大変じゃ、ゴーマが現れよった」と告げる
- 5人の孫が急に現れ(同じ俳優が演じている)、「おばあちゃんたちが聞いていたわよ。いつかこんな日が来るんじゃないかって」と言って変身して戦い出す
- 作品の哲学:
- 気力を持っているダイレンジャーと妖力を持っているゴーマは2つで1つの存在である
- 妖力を全て滅ぼしてしまったら気力も滅ぶため、ダイレンジャーももういらなくなり解散しなければならない
- しかしそのうちにこの地球ではまた妖力のゴーマが現れ、その時は気力を持ったダイレンジャーは再び戦わなければならない
- 善と悪両方を必要なものとして捉えており、最終回は悪は滅びて終わるのではなく悪が復活して終わる
- 悪が復活して老人になったかつてのヒーローたちの孫たちがもう1回変身して戦ってくれることで、「よし、世界はこれでいいんだ。正義と悪とが戦うことが正しいんだ」というとんでもない最終回である
■ 4. ヒーローの最終回答としての意義
- バットマンのダークナイトなどが昔にやっているが、ヒーローの最終回答である
- 考え方:
- 人間は正義の心と悪の心を両方持たなければならない
- 正義の心と悪の心を両方持っているからこそ「どうすればいいんだ」という葛藤が生まれ、その葛藤が人間の成長になる
- 地球の平和は常に永久に平和を守るために戦い続けることで保たれる
- 制作背景: 全て戦後生まれのスタッフで作ったと思われ、第二次大戦の経験者がいないからこそ、ここまで俯瞰したものを作れた
■ 5. スターウォーズとの比較
- スターウォーズの面白さは全体が悪ではなく、ジェダイが善でシスが悪でもない
- 2つの対立しているものがあり、日本でこれに1番近いのは五星戦隊ダイレンジャーの最終回あたりである
- バットマンのダークナイトと同じような主張で、正義があるから悪がある、悪があるから正義があり、それぞれがなければ存在しないという話である
■ 6. 令和時代の世界征服:ドクターストーン
- ドクターストーンは世界征服ジャンルである
- 合理主義と科学主義のみで世界統一をしようとしている話である
- 世界が滅亡して必要な人間を少しずつ生き返らせるところから始まっているため世界征服と気づかれにくい
- 主人公・千空がやっていること:
- 合理主義と科学主義のみを正しいこととして、それに反する人間たちを次々と合理主義科学主義で従えて共通の敵に向かって進めていく
- 昭和の時代だったら悪役がやるようなことをガンガンやっているが、人道的には少なくとも悪いことをしていないのでいいことみたいに聞こえる
■ 7. ヨミ様問題
- バビル2世に登場する悪役ヨミ様が気の毒な存在として描かれる
- ヨミ様の境遇:
- チベットに基地を作って世界征服を目指すが、バビル2世に破壊される
- 別の場所に本格的な科学基地を作り、腕が何本もある人間や政治家そっくりのロボット(人造人間)も作るが、全て破壊される
- 最後は雪崩で死んでしまう
- 宇宙から来たウイルスに体が侵され、不老不死と物凄いパワーを手に入れるが、カプセルに入っていないと部下にウイルス病気を移してしまう
- すぐ疲れて寝てしまうが、バビル2世が現れるとすぐ叩き起こされる
- あっという間に体がボロボロになって老人になってしまう
- 最後に言うのは「俺は自分の作った基地で静かに眠りたい」である
- ドクターストーンの問題点:
- ドクターストーンは基本的にこのヨミ様問題を描いていない
- 誰か1人超優秀な奴(千空)がいて、そいつが全てを握っている
- 千空1人の頑張りに全てがかかっており、千空がいなければこの世界は完了しない
- バビル2世のように「とりあえずヨミを疲らせたら、ヨミを倒したりすればなんとかなるだろう」という話に持っていかなかった
■ 8. 千空の思想的限界
- 地球の危機を回避させて人類を化石化から開放した後の問題:
- 千空は価値観の複雑さを処理できない
- イスラム教をどう扱うのか、復活させた後のアーミッシュ(近代文明・産業文明以降の文明を全部拒否している教団)をどう扱うのか
- エホバの証人(近代医療を否定し、自分の子供でも輸血は受けさせず神に祈ることで結果的に見殺しにする)をどう扱うのか
- 千空のキャラクターとしては彼らの信じていることだと言って許せないはずである
- 理由: 科学と合理主義が全ての上に立っている世界統一・世界征服をしたからである
- 漫画はそこまで行かずに終わってくれたためこの問題にタッチしなくて済んだ
- トマス・モアの「ユートピア」の考え:
- 多数の価値観があればそれは世界統一ではない
- 真の平和はたった1つの価値観か、たった1つの宗教でこの世界が1つになっていて、人々が自由を感じないというのが世界平和のユートピアの定義である
■ 9. 現代作品における悪の不在
- 悪のいない世界が現在の世界である
- 事例:
- トップガン マーベリック: 誰が悪いのか、誰が戦争を起こしているのかを描かないまま映画を作るしかない
- 007スペクター: 時代錯誤であまり内面や組織の内部を描かないまま終わった
- 誰も世界征服を目指してくれないため物語が成立しなくなっている
- 理不尽を敵にするしかない状況:
- エヴァンゲリオン、シン・ゴジラ、シン・ウルトラマンは直接的な敵がいてこれと戦うということはあまりやらずに済んでいる
- エヴァンゲリオンはこの世の理不尽が相手
- シン・ゴジラは理不尽の象徴としてのゴジラが日本に現れる
- シン・ウルトラマンは外星人が敵として現れるが、決定的な対立になる前にその外星人が「これはもう利益にならない」と言って帰ってくれたり、武器がやられたことで侵略そのものがうやむやになって終わる
■ 10. シン・仮面ライダーへの期待
- 新仮面ライダーは敵の設定が避けられない:
- 予告編で蜘蛛男や蜂女が出てきており、誰が改造したのか、その目的は何なのかという問題がある
- ショッカーという地球征服を企む悪の組織を設定せざるを得ない
- 期待される展開:
- 昭和の通り「世界征服を企む」で押し切ってしまうのか
- 新シリーズとしてショッカーとは理不尽ですという風に逃げてしまうのか
- 正体は分かりませんという風に逃げてしまうのか
- 確率は半々だが、かなり楽しみである
■ 11. 1980年代と現代のメディア環境の変化
- 1980年代:
- NHK放送文化研究所の調査によれば小学生の平均テレビ視聴時間は平日で約4時間20分前後、休日になると5時間を超えることもあった
- 放課後から夜までずっとテレビがついている家庭も珍しくなかった
- テレビは窓であり友達でもあった
- スーパー戦隊、仮面ライダー、ウルトラマンなど子供たちが夢中になる番組が同時時間帯にひしめいていた
- 放送時間になるとテレビの前に座り、その1話をリアルタイムで見るという体験を共有していた
- 現代:
- 子供のテレビ視聴時間は平均で1時間未満にまで減少している
- 総務省情報通信白書2024年によると10代前半の約8割がテレビよりスマホで動画を見ると回答
- YouTubeやTikTokなど個別に視聴できるサービスが主流になった
- みんなで一緒に見る時代から1人で好きな時に見る時代へと変わった
- 影響:
- 日曜の朝はヒーローの時間だったが、今では子供たちがその時間にテレビを見ていない
- リアルタイム視聴の前提で作られてきた番組構造が生活リズムの変化に追いつけなくなった
- ヒーロー文化そのものが衰えたわけではなく、YouTubeでは変身シーンの切り抜きやおもちゃレビューなど新しい形でヒーローへの愛が受け継がれている
- 子供たちはヒーローを捨てたのではなく見方が変わった
■ 12. メディア構造の変化と文化の継承
- 1980年代はテレビが1日の中心であり家族をつなぐ共通の話題だったが、現代では家庭内でも各自が別の画面を見ている
- 昔のヒーロー番組は正義・仲間・希望という共通のメッセージを毎週お茶の間に届けていたが、今の時代それはSNSやネット動画の中に分散している
- 個人の配信者や小規模スタジオがそれぞれのヒーロー像を描いているとも言える
- 時代が変わればヒーローの形も変わるが、誰かのために戦う姿や正しさを信じる勇気は世代を超えて人の心に残り続ける
- 戦隊ヒーローが消えることがあってもヒーローの魂は別の形で語り継がれていく