■ 1. 対談の背景と目的
- トランプ政権の背景で巨大な影響力を持つキリスト教・福音派を論じた『福音派―終末論に引き裂かれるアメリカ社会』(中公新書)の刊行を記念した対談
- 著者の加藤喜之氏(宗教学者・思想史家)と柳澤田実氏(宗教学者・哲学者)が対談を行った
- 終末論的な世界観を持つこの宗教集団・運動がどのような経緯で勢力を拡大してきたのか、日本からはどのような視点で捉えると良いのかを議論
■ 2. 加藤氏の研究背景
- もともとスピノザとその周辺の神学者や哲学者たちが啓蒙思想にどのような影響を与えたのか、近代の政教分離をどのように確立していったのかに関心があった
- 大学院時代から17~18世紀の西洋思想史、とりわけ宗教と政治の関係について研究を続けている
- 現代における宗教と政治の関係について考える機会が増え、「なぜ福音派の人たちはトランプ氏が司法で有罪判決を受けても彼を支持するのだろうか」といった素朴な疑問に答えるために本を執筆した
- 日本では誤解されがちな福音派について歴史的背景を踏まえて一冊にまとめておきたかった
- 政教分離の応用問題として本書の執筆に取り組んだ
■ 3. 日本における福音派の状況
- クリスチャンが人口全体の1%未満である日本では福音派は誤解されがちな集団である
- ひとくちに福音派といっても実際にはさまざまな立場、考え方の人たちがいる
- 柳澤氏は日本のプロテスタントの主流派の神学部に勤めているが、近年主流派は衰退し、福音派あるいは福音派を通じてキリスト教に触れた学生が増えている
- 福音派の学生は聖書を神に霊感を受けた誤りのない書物としてとらえていて、書かれている内容を文字通りに信じる立場をとる
- 同時に感受性が鋭い子が多く、自分でこれと決めたものにコミットする情熱的な態度が印象的である
- キリスト教会におけるリベラルの衰退と保守派である福音派の増加は現代社会の縮図のような現象である
■ 4. 福音派の信仰の独特さ
- ターニャ・ラーマン氏の『リアル・メイキング―いかにして「神」は現実となるのか』によると、福音派の神との距離感はこれまでのキリスト教信仰と比べてとても独特である
- 柳澤氏は福音派の人たちの信仰はいまの日本でいう「推し活」に似ていると考え、ラーマン氏もこれに同意した
- 福音派の人たちを一面的に「保守」であると捉える必要はない
■ 5. リアリティの感じ方の変化
- 柳澤氏は博士論文まで4、5世紀の初期キリスト教の思想について研究していたが、現代の福音派の信仰はその時代のものとは明らかに異なる
- キリスト教の神学では神を抽象的な存在としてとらえる哲学的な議論が長らく展開してきたが、福音派の信者には神と自己とのパーソナルな関係を重視する偶像崇拝にも近い信仰態度が見られる
- ラーマン氏も福音派は「説明」を嫌い「ポジティヴな感情」を重視すると論じている
- これまで概念や理念など観念的なものにリアリティを感じる文化を築き上げてきたキリスト教社会で、リアリティの感じ方に変化が起きていることは注目に値する
- この傾向はキリスト教内部の問題ではなく社会全体に見られる
- 「推し活」やファンダムに顕著だが、「自分にとってリアルだ」と感じるものに強く没入する人が増えている
- 譲れない自分だけの「現実」を重視し、他者とその感覚を共有することがどんどん難しくなり、そもそも共有することに関心がない人も増えている
- 現在のアメリカの左右の「分断」もまた異なるリアリティへの没入状態と無関係ではない
■ 6. 福音派の敬虔さと多様性
- 加藤氏がテキサスにいた頃に福音派の教会に通っていた際、そこで出会った人たちは祈りや瞑想などのスピリチュアル・ディシプリン(霊的訓練)に篤く、熱心に賛美歌を歌うなどとても敬虔な人たちが多かった
- 外面的にはナショナリズムとキリスト教が一体化しているように見える部分もあるが、実際に会ってみると敬虔な人が多く、必ずしも政治運動に積極的な人たちばかりではない
- 福音派が感情や体験だけを重視して抽象概念や論理を軽視しているというわけでもない
- 彼らは彼らなりに自分の世界観を説明する手段を持っており、ある種の学問的な蓄積や教育も十分ある
- その中には保守的な社会思想があるが、同時に社会的にリベラルな考え方、さらに言えば平和主義の伝統もある
- しかしこうした敬虔で多様な思想的伝統をもつ彼らがなぜ宗教右派に取り込まれ政治化しトランプ政権を支える存在になったのか、その深層を理解するには歴史に立ち戻る必要がある
■ 7. ディスペンセーション主義の起源と特徴
- 福音派の人たちにセンセーショナルなイメージがつきまとう理由の一つに彼らの考える「終末論」がある
- 福音派の唱える終末論には、特にアメリカにおいて20世紀初頭以降に広まった「ディスペンセーション主義」が非常に強く影響している
- この特殊な終末論は「世界の終わりが近づいておりキリストがまもなく再臨し世界を裁く」という考えで、イスラエルという国とユダヤ人の終末における役割を重視する点が独特である
- 19世紀にイギリスのジョン・ネルソン・ダービーという聖職者によって体系化され、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカのキリスト教徒の間へと浸透した
- ただし福音派の中にも他の立場を取る人々がいることも付け加えておく必要がある
■ 8. 原理主義と福音派の分離
- ディスペンセーション主義がアメリカで強く支持されたのは、1910年代から20年代にかけてアメリカのプロテスタントが「リベラル派」と「原理主義」の二つに分かれていったことが背景にある
- リベラル派(「主流派」)は近代科学を受け入れつつ聖書を歴史的・文献学的に読む「高等批評」という手法を用いていた
- 原理主義の人たちは聖書を神の霊感を受けた誤りのない書物として読むので、進化論のような科学的見解は当然受け入れない
- 近代化が進むにつれて原理主義の人たちは学問的に洗練された北東部の主流派プロテスタントから排除されるようになり、1940年代頃から自分たちを「福音派」と自称するようになった
- 追い出された彼らにとって思想の拠り所となったのがまさにディスペンセーション主義だった
■ 9. バルフォア宣言の影響
- ディスペンセーション主義者らの注目を集めた出来事のひとつに1917年のバルフォア宣言がある
- これは大英帝国の「三枚舌外交」のひとつで、第一次世界大戦での戦勝の暁にはパレスチナにユダヤ人国家の建設を認めるというものだった
- アメリカの原理主義者たちからすればこの動きはまるで旧約聖書の預言や約束が成就しつつあるかのように見えた
- バルフォア宣言は排除された原理主義者たちにとって信仰を支える力強いエビデンス(裏付け)になった
■ 10. 終末論の歴史的役割
- ダニエル・ハンメル氏の『ディスペンセーション主義の興亡』によると、ディスペンセーション主義の精神は南北戦争をきっかけにアメリカで広まったという説がある
- 南北戦争は北と南で文字通りの分断が起こり白人同士での凄惨な戦いに発展した
- そうした文字通りの「分断」を経て改めて「自分たちは同じ集団である」という感覚を取り戻すためのナラティブとして終末論が機能した
- 問題はその集団意識が白人に限定されていたことだが、現在のアメリカでも似たようなかたちでディスペンセーション主義は機能している
- 政治学者のウォルター・ラッセル・ミードは国連設立の際の国際的な盛り上がりを分析し、国家を超えた統一的な世界政府をつくろうという理想がある種の終末論的な熱狂に支えられていたと論じている
- つまりアメリカでは福音派に限らずリベラルの側にも終末論的なナラティブは存在する
- キリスト教文化圏において終末論とはベーシックな共通のナラティブ(物語)である
■ 11. 終末論の普遍的機能
- 黙示思想や終末論はすでに1世紀のパウロの書簡や新約聖書の他の部分にも見られ、それらは迫害を受けているキリスト教徒を励ます役割を果たしていた
- こうした終末思想はその後のキリスト教史においても抑圧された人々の間で繰り返し現れた
- 中世末期から近世にかけてのヨーロッパでは農奴制下で過酷な状況に置かれていた農民らの間で、16世紀の宗教改革の影響もあって終末論的な思想が広まり、1524–25年のドイツ農民戦争や1534年のミュンスターの反乱などが起こった
- 17世紀の三十年戦争においても劣勢にあったプロテスタント側の一部ではキリストの再臨による最終的な勝利を確信する者たちが現れた
- 終末論という考え方は虐げられた人たちにとって希望のナラティブであり、劣勢を逆転することができるという強烈な動機づけになる
- だからこそ1920年代の原理主義者たちだけでなく、現代においても宗教保守がオバマ期やバイデン期に劣勢に立たされたとき、終末論が彼らに希望や戦う勇気を与える
■ 12. シリコンバレーと終末論
- シリコンバレーのテックリバタリアンの間でも終末論的な思想や危機意識が強まっている
- もともとシリコンバレーは科学と合理性を重んじる世俗的なリベラル文化が主流で、保守的なキリスト教信仰を公にすることはタブー視されていた
- しかしキリスト教信仰を掲げるピーター・ティールが2016年にトランプ支持を表明し、その後元部下のJD.ヴァンスを副大統領にするなど政界への影響力を強めたことで、このタブーは徐々に解消に向かった
- 彼の行動は隠れていた保守的なテックリバタリアンに政治活動の勇気を与え、信仰を公言する際の障壁を低くした
- これによりテック界における保守的なクリスチャンが可視化され周囲に影響を与えるようになっている
- この流れと並行するようにシリコンバレーの産業は軍事分野にその中心を移しつつある
- テックリバタリアンたちが福音派のように終末論を文字通りに受け入れているかというとそうではなく、より比喩的に捉えていると考えられる
- 実際には彼ら(少なくともティールやイーロン・マスク)はむしろ終末になりかねない現実的危機を回避しようと動いているはずである
■ 13. 福音派の言語化能力
- 福音派の論者は言語化の能力が極めて高く、たとえ「聖書は誤りのない神の言葉である」といった前提が日本人には荒唐無稽に見えたとしても、そこから論理的で整合性のとれた世界観を構築していく
- 近年重要視されているキリスト教ナショナリズムは「アメリカはキリスト教国として建国された」「アメリカ的な自由民主主義が機能するにはキリスト教的な土壌が不可欠である」といった考え方である
- そうした考えを正当化するために福音派の論者はジャン・カルヴァンの流れを汲む17世紀の神学者や政治思想家の理論を援用する
- 彼らはその主張を論理的に説明し教会などで信徒にレクチャーする
- 彼らはこうした歴史的な理論を背景に強固に理論武装されている
■ 14. コミットメントの重要性
- 福音派やティールらキリスト教保守派の特徴は言語化能力の高さのほかに「コミットメント」という概念で説明できる
- アメリカ型のリベラリズムが常識化し、あらゆる価値観が多様性の名のもとに相対化され、誰もが自己利益を優先して生きているという人間観が全景化している
- こうした状況下では自分にとって大事なもののために身を投じることが是とされない空気が生まれている
- 「誰かのために生きる生き方は愚かだ」という雰囲気が蔓延しており、これを道徳性の崩壊だと言うキリスト教保守派の意見も間違ってはいない
- 自分たちを保守だと自認する人々に共通する「大切な何か、大切な誰かのために献身する」態度は、「みんなが自分のしたいことをして邪魔しないのが一番」という価値観しかない現代社会に対する重要な問題提起である
- こうした価値観に限界を感じコミットメントを求める若者たちが保守化・右傾化する流れは理解できる
■ 15. 信仰復興運動
- 最近の研究ではアメリカのZ世代の間で「信仰復興運動」が起きていることが指摘されている
- 若い人たちがキリスト教に回心し熱心に教会に通う現象が見られる
- この現象の背景には彼らが高校や大学といった成長過程でコロナ禍をまともに受け孤立してしまったという事情がある
- コミットメントは他者とのつながりを生み出すものであり、ファン同士が繋がるように何かにコミットすることは共同体形成につながる
- イエスを信じることで孤独から解放され「誰かが共にいてくれる」と思うことができる
- コロナ禍は孤独が先鋭化した時代だったため彼らが保守的な方向へ傾倒するのは理解できる
- しかし近年の福音派の文脈の中だと強いコミットメントは「あらゆることをキリスト教が支配しなければいけない」というキリスト教ナショナリズム的な考えとドッキングしがちである
■ 16. 対話の必要性
- 近年の傾向として落ち着いた対話が非常に難しい状態に陥っている
- 左派は2010年代後半以降、大学のキャンパスでの右派論者のイベントを妨害や排除するなど、言論の自由を認めないキャンセルカルチャーの中に身を投じている
- 一方で保守派は排他的で暴力を煽るような言説で他者を反駁する傾向がある
- 論破をしたところでそれは自陣営を利するばかりで互いの理解を深めることにはならず、民主主義で不可欠な対話は決して生まれない
- いま必要なのは対話を可能にする新しいプラットフォームの構築である
- プラットフォームが壊れた状態で喧々諤々の議論を続ければ続けるほど双方ともが暴力的になっていく
- 大学の研究者・知識人、そして公共の中で語るものとして、プラットフォームの重要性を再度、右派も左派も、リベラルも保守も認識する必要がある
- 近年ではそうした傾向が双方から少しずつ出てきているのでそれが一つの流れを作り出すことが期待される