■ 1. リベラルの意味のねじれ
- 本来リベラルとは権力から個人の自由を守る思想である
- 欧米ではリベラルが中道の自由主義を指すのに対し、日本では左翼と同義に扱われるようになった
- 日本ではリベラルが反体制の立場を示す政治ラベルとして機能している
- この意味のねじれは戦後から始まった
■ 2. 戦後GHQによる民主主義の再定義
- GHQは日本を再設計する中で民主主義をリベラルと定義した
- 教育、報道、憲法を通じて国家よりも個人の自由を優先する仕組みを植えつけた
- 国家主義を否定する立場が体制批判こそ正義という空気を生み出した
- 当時の日本では戦争責任を問う声が強く、国家という言葉そのものがタブー視された
- 国家より個人が正しいという構図が教育の常識となった
- 自由の理念は責任の放棄と混同されていった
■ 3. 冷戦期の構図の固定化
- 冷戦期に構図はさらに固定化された
- 平和と人権を掲げた運動は反米反自民の象徴として広がった
- 冷戦構造の影響で「反戦が善、軍事が悪」という単純な図式が社会に定着した
- リベラルは思想ではなく政治的ポジションを示す言葉へと変化した
- 安全保障や同盟の議論が戦争賛成と同一視され、現実的な防衛論まで封じられた
- 理想を語る側だけが道徳的優位に立つ構図が定着した
- 戦後の報道機関と大学もこの価値観を繰り返し再生産してきた
- 「保守=軍国主義」「左派=平和主義」という物語がすり込まれ、立場が先に決まる社会が完成した
■ 4. カタカナ用語の曖昧性
- 日本ではカタカナになると意味が曖昧になる用語が多い
- リベラルという言葉はその典型的な犠牲者である
- このような歴史と事実を知るべきである
■ 5. SNSにおける言論封殺
- SNSにおいて自由の名を借りた言論を封じる運動が存在する
- 賛同が多い意見ほど正解として拡散され、少数派の声は可視化されても共感されにくい
- この傾向は左派に限らず右派にも同じく存在する
- 数の論理が正義を作る構造そのものが自由な議論を奪っている
- 正義を掲げる人々は他者の意見を排除し、異なる価値観を持つ人を敵とみなす
- これは本来のリベラルの意義に即していない
- かつて大学や新聞が担った言論空間が、今ではSNS上の同調圧力として再生している
■ 6. 日本型リベラルの変質
- 日本型リベラルは自由を守るどころか統制の道具へと変わった
- 戦争の罪悪感から優しさを政治思想にした世代にとって、善意が正義化し他者を縛る結果は想定外だった
- 自由を語る者ほど他人の自由を奪い、寛容を語る者ほど攻撃的になった実感がある
- 言葉の意味をねじ曲げてまで正しさを証明したい社会に本当の自由は根付かない
- 自由という言葉を歪めたのは権力ではなく、今を生きる私たち自身である
- 自分たちが自由な国の国民だと信じているならば、その思い込みこそ最大の不自由である