■ 1. 左派の苦境:不平等とインフレへの関心の非対称性
- 不平等への注目:
- トップ1%とそれ以外の人々の間の格差の拡大に関して多くの記事が書かれてきた
- 人々の間に格差が生じていることを突き止めた論文が多数刊行されてきた
- グローバル不平等や所得不平等のトレンドを非難した学術書が多数出版されてきた
- インフレへの無関心:
- 価格高騰の原因を糾弾するカンファレンスはほとんど開かれていない
- インフレが一般市民の生活に与える影響を論じた学術書はほとんど出されていない
- 不換紙幣から兌換紙幣への転換を求めるパンフレットもほとんど書かれていない
- 左派知識人の傾向:
- 進歩派の知識人の多くは不平等を強く懸念する一方、インフレに関してはほとんど気にかけない
■ 2. バイデン政権の不運
- 不平等への怒りの焚きつけ:
- 2011年のオキュパイ運動以来、富の不平等への怒りを焚きつけようとする試みが繰り広げられてきた
- こうした怒りのいくばくかは民主党の支持へと繋がると期待されていた
- しかし選挙の面ではほとんど全く成果を生まなかった
- インフレの発生:
- アメリカ人は経済問題ではなく文化の問題にばかり目を向けるよう仕向けられていると言われていた
- バイデン政権末期に全世界が深刻なインフレに見舞われた
- アメリカ人は経済問題に関して激しい怒りに燃え上がった
- 怒りの行き先:
- この怒りは共和党への支持へと向かった
- 共和党はその見返りに富裕層向けの巨額の減税を可決した
- 左派の困惑:
- アメリカ人はなぜ自分たちの経済状況にあれほど怒りながら、その苦境の実際の原因との明白な繋がりを見逃してしまうのか
- なぜ移民に怒りを向けながら大富豪には怒りを向けないのか
- この怒りを利用して左派への支持を増やす方法がきっと何かあるはずだという疑問
■ 3. ゾーラン・マムダニのニューヨーク市長選での当選
- 従来の民主社会主義者:
- バーニー・サンダースやアレクサンドリア・オカシオ=コルテスのような民主社会主義者の大物政治家たちはポピュリストと呼ばれることがある
- 彼らが最近敢行した「大富豪と闘う」というキャンペーンは大きなムーブメントにならなかった
- トランプへの支持を弱めることもできなかった
- マムダニの成功:
- 有権者に響くようなポピュリスト的メッセージとプラットフォームを作り上げた
- 最初の調査では支持率1%に満たなかったところから一般選挙で50%以上の票を獲得して勝利した
- どうすればこの奇跡を再現できるのか多くの人が知りたがっている
■ 4. ポピュリズムの正確な理解
- ポピュリズムの本質:
- ポピュリズムは経済的エリートへの反逆ではなく認知的エリートへの反逆である
- ポピュリズムの中核はインテリやその取り巻きが支持する突飛な空論を捨て常識を肯定することにある
- 常識は合理的な推論ではなく直感の産物である
- 認知システムとの関係:
- ポピュリズムを理解する手っ取り早い方法はそれをシステム2の認知に対してシステム1の認知を特権化する政治戦略と見なすこと
- 直感(システム1)は世界との相互作用を通じて引き出されるため非常に具体的な一次表象に焦点を当てる
- 分析的システム(システム2)はデカップリングされた表象を操作でき、抽象的・仮説的・反事実的な状態に関する推論を可能にする
- デカップリングのコスト:
- 進化はデカップリングのコストを高くつくものにした
- 現実世界から長い間遊離してしまうのを避けることが非常に重要であった
- 世界の一次表象の取り扱いは常に特別な顕著さを持つ
■ 5. ポピュリストの訴えとテクノクラートの訴えの違い
- 見分けるための目印:
- ポピュリストのメッセージが一次表象に縛られている
- 具体例(食料品価格):
- 「生活費」は一次表象ではなく抽象概念
- 食料品価格は一次表象である
- スーパーの棚を見るなり、最後に買ったオレンジジュースやパンの価格を思い出すなりすれば「食料品価格」はすぐイメージすることができる
- トランプの戦略:
- トランプが多くの時間をかけて食料品について語っていた(「食料品、なんてシンプルな言葉だろう」)
- アメリカのバラモン左翼が嘲笑してきた点でもある
- しかしそうやって嘲笑することで左派はある種高次の愚かさを露呈している
- 一次表象は抽象概念と違い特別な顕著さを持つ
■ 6. マムダニの市営食料品店公約
- マムダニの洞察:
- トランプの発言から明白な結論を引き出した数少ない人物の1人
- トランプが食料品について語るのを鼻持ちならない高慢さで嘲笑する代わりに、左派も食料品について語るべきだと考えた
- 選挙公約:
- 主要公約の1つは公有の市営食料品店を設立して食料品価格を下げるというもの
- 現実との乖離:
- 食料品店が不当な利得を得ているために食料品価格が高騰しているわけではない
- ニューヨークの食料品店の利益率は非常に低く、主要なコストはサプライチェーンのもっと上流で生じている
- マムダニも恐らくは理解しているだろう
- サプライチェーンの問題:
- 「サプライチェーン」というのが完全に抽象的な概念
- ほとんどの人にとって「サプライチェーン」なるものは存在しないも同然
- 食料品価格を低下させるきちんとした政策を立てたいなら農業補助金・輸送コスト・小売業の間接費などについて考えるのが筋
- しかしそんなことを語っても一般市民を沸き立たせることはできない
- 怒りの向け先:
- 生活費の高騰に怒っている人々はサプライチェーンの連鎖の最後にあたり最終消費者へと商品を直接販売する小売店(食料品店)に怒りを向ける
■ 7. ユナイテッドヘルスケアCEO射殺事件との類比
- 事件の概要:
- ニューヨークの路上で生じたユナイテッドヘルスケアCEOの射殺事件
- ポピュリスト的な盛り上がりを生み出した
- 殺害容疑をかけられたルイジ・マンジョーネは英雄視された
- 経済オタクの指摘:
- 健康保険会社の利益率はかなり低い
- アメリカの医療システムのコスト高騰は保険会社の責任ではない
- 分析の限界:
- このような分析は一連の抽象概念(例えば「モラルハザード」)に依存しており直感では理解不可能
- 食料品店と同様、保険会社も医療のサプライチェーンにおいて最終消費者と相対する最後の部分
- 保険というのはそれ自体難解な商品であり理解できている人はほとんどいない
- ほとんどのアメリカ人は保険会社はいかなる価値も生み出しておらず請求を拒否することで収益を得ていると考えている
- 怒りの向け先:
- 医療費高騰に怒っている人々(現在医療費債務を負っているアメリカ人の3分の1が含まれる)にとって、医療保険会社というのは責めるべき相手として自然
■ 8. サンダース/オカシオ=コルテス式キャンペーンの問題点
- 不平等批判の問題:
- 不平等もまた抽象概念
- 不平等それ自体を気にかけるのはインテリだけ
- 一般市民は所得不平等や富の分布に関して何も知らないということを示す研究はたくさん存在する
- 人々が不平等を大して気にかけていないからである
- 人々が気にかけること:
- 何よりもまず自身の経済状況
- 他人の経済状況にいらだつ場合でもその態度は特定の準拠集団との比較に基づいている
- 人々が自分と比較するのは隣人・高校の同級生・兄弟姉妹など自分と似たような状況にあると考えられる個人または集団
- これが一次表象を形成する
- 大富豪批判の問題:
- ジェフ・ベゾスのヨットやイーロン・マスクの実効税率の低さを非難することが政治戦略として問題なのは、こうした大富豪がほとんどのアメリカ人にとって完全に比較対象の外にあるということ
- 大富豪の経済状況は一般市民が自身の経済状況と比較できるようなものではない
- 人々にこうした抽象的な事柄について考えさせ怒りや強い感情を湧き起こさせるというのは非常に難しい
■ 9. 左派のジレンマ
- ポピュリズムの効果的利用の条件:
- 一般市民が気にかけている問題に焦点を当てるだけでなく、一般市民による問題のフレーミングの仕方も多かれ少なかれ受け入れなければならない
- ジレンマの発生:
- 一般市民による問題のフレーミングは複雑な現代社会において大抵の場合間違っている
- 結果、左翼政治家が真正のポピュリストになれるような問題を見つけるのは非常に難しい
- 集合行為問題:
- 気候変動であれ公共交通機関であれ医療費高騰であれ、左派が解決したいと考える問題の多くは集合行為問題
- 集合行為問題は極めて反直感的
- 黒板を使いながら1時間説明しても学生たちはそれを誤解してしまう
- 釣り商法の問題:
- 選挙キャンペーンで食料品店に焦点を当てるとしても、真に食料品価格を低下させたいならサプライチェーンのもっと上流に目を向ける必要がある
- 結果的にこのような選挙キャンペーンはちょっとした釣り商法となってしまう
■ 10. ベネズエラのチャベスの教訓
- チャベスの問題点:
- チャベスの問題は彼が真のポピュリストであったこと
- 単にバカのふりをしていただけでなくインテリの奉じる突飛な空論を本当に拒否していた
- インフレへの対応:
- ベネズエラ経済のインフレ(特に食料品価格の高騰)に対するチャベスの対応は生活必需品に価格規制を敷くというもの
- チャベスはそのプロセスで基本的に経済の全セクターを違法にした
- 具体的には損失を出さずに食料品を販売することを不可能にした
- 結果:
- 人々は市場から財を引き上げた
- 多くの農家は自家農業に切り替えて商業作物の栽培をやめた
- 何百万のベネズエラ人が飢餓の寸前まで押しやられた
- 経済は完全に崩壊した
- 人口の約25%が国を離れた
- 近代でも最悪の経済的破滅の1つを自ら招いた
- 本質的な問題:
- 問題はチャベスが社会主義者だったことではなくポピュリストだったこと
- 世界を理解する上で一次表象しか用いないならばインフレは商品価格の全般的な上昇のように見える
- 難解な推論を辿っていけばインフレが実際には貨幣価値の下落に過ぎないということが分かる
- 抽象的な推論を辿れる人々はインフレに対する正しい政策対応が貨幣価値の下落を止めるための金融政策(金利を上げたり貨幣供給を絞ったりすること)であると理解できる
- これはポピュリストによるインフレへの対応とは正反対
- 世界のどこを見てもポピュリストがやりたがることは金利を下げること
- チャベスの政策は物事を具体的に考えようとする人が惹きつけられがちなもの
- 財の価格を上げた人に対してそれをやめるよう命令した
- 命令への対応の仕方が気に食わなければ軍を送って商品を没収した
■ 11. 「警察予算を打ち切れ」運動の問題
- 運動の実態:
- 2020年の「警察予算を打ち切れ」の熱狂
- このスローガンはポピュリズム的な盛り上がりを生み出した
- しかしそれが何を意味し何を含意しているのかについてはなんの合意にも辿り着かなかった
- インテリの混乱:
- インテリたちが同意できていたのはこのスローガンが通常の英語の意味で用いられていないということだけだったように思える
- アレックス・ヴィターレの『取り締まりの終焉』を買って読んだ人はタイトルが言葉遊びでありヴィターレが取り締まりの終焉を求めているわけではないことに気づいて失望したと思われる
- この本は取り締まりの是非ではなく目的を論じるものだった
- 釣り商法の不可避性:
- この種の釣り商法は左翼ポピュリズムにとって避けられないもの
- 多くの人がこのようなキャンペーンに気乗りしていないのも恐らくそのため
■ 12. マムダニへの期待と課題
- マムダニの評価:
- 明らかにたぐい稀なる有能な選挙戦術家
- トランプの感覚を理解できる人物であるようにすら見える
- 課題:
- 彼を当選へと至らせたポピュリスト的な炎を消してしまうことなくニューヨーク市民の生活を向上させるために真に必要なテクノクラシー的政策を実行できるかどうか