■ 1. エンターテインメント作品への高尚さ要求の問題提起
- エンターテインメント作品に対し「高尚であるべきか」「社会的メッセージを含ませるべきか」という議論は常に存在する
- 批評家や一部の愛好家は単純な娯楽作を「低俗」「子供騙し」という言葉で批判する傾向がある
- 歴史を振り返ると、高尚さへの傾倒が大衆を置き去りにし、業界そのものを衰退させかけた事実がある
■ 2. スター・ウォーズの成功事例
- 1970年代のハリウッド映画界の状況:
- アメリカン・ニューシネマと呼ばれる潮流の只中にあった
- ベトナム戦争や政治不信といった社会背景を反映し、リアリズムを追求していた
- アンチヒーローが主人公となり、救いのない結末や難解なテーマを扱う作品が「良質な映画」として評価されていた
- 『タクシードライバー』や『ゴッドファーザー』といった傑作が生まれた一方で、映画館から夢、希望、純粋なワクワク感が失われつつあった
- 批評家たちは芸術的で高尚だと称賛したが、重苦しい現実に直面している観客は説教臭い現実に疲れ果て、映画館から客足が遠のいていた
- ジョージ・ルーカスの企画:
- かつて自身が子供の頃に夢中になった冒険活劇「フラッシュ・ゴードン」のような作品を目指した
- 単純明快な勧善懲悪、科学的考証など関係ない冒険活劇のスペースオペラ、騎士が姫を助ける剣と魔法の物語、時代劇のような痛快なチャンバラというエンタメ全振りの作品だった
- タイトルすら一切ひねりがなく余計な考察は不要である
- 製作当時の前評判:
- 「今さら宇宙戦争など流行らない」「子供向けのB級映画」「低俗な漫画映画」といった散々なものだった
- 映画関係者や批評家の多くは冷ややかな目で見ていた
- 配給会社ですらヒットを疑問視し、ルーカス自身も公開当日は失敗を恐れてハワイへ逃避していた
- 高尚なテーマを持たないSF活劇は取るに足らない低俗な見世物に過ぎないとされた
- 公開後の結果:
- 1977年に公開されるや否や劇場には長蛇の列ができ、世界中で社会現象を巻き起こした
- 観客は難解なメタファーや社会風刺ではなく、ライトセーバーの唸る音や宇宙船のスピード感に熱狂した
- 理屈抜きに楽しめる面白さがあった
- 低俗という誹りを受けた作品が映画産業そのものを救い、ブロックバスター映画の礎を築いた
■ 3. 現代ロシアにおけるプロパガンダ映画の失敗
- ウクライナ戦争向けプロパガンダ映画の興行成績:
- 2022年の戦争ドラマは興行収入/製作費で示す回収率が21%どまりだった
- 2023年のプロパガンダ作品は回収率2.5%だった
- 2025年最新作品は公開週末でも1上映あたりの平均観客数はわずか3人で、回収できたのはせいぜい20万円という惨憺たる状況である
- ロシアの映画制作会社幹部の証言:
- ロシア人はどこに行ってもプロパガンダを強制的に観せられている(国営テレビ、街頭、学校や大学でも)
- 多くの人は現実を一瞬でも忘れさせてくれる映画を見たいと思っている
- ウクライナ関連の暗いニュースを忘れたい、戦争を思い出すことが彼らが最も望まないことである
- 自分でお金を払ってまでプロパガンダ映画を見たがらないのは当然だと指摘している
- ベトナム戦争の影に疲弊し、ニューシネマのリアリズムや説教臭さに背を向けた70年代のアメリカ観客の姿と重なる
■ 4. 社会的メッセージ性の質的問題
- 「社会的メッセージを含ませれば高尚になる」というのは幻想に過ぎない
- メッセージ自体の質が低ければ作品の価値は下がる
- 新興宗教系団体の制作物の例:
- 組織票によってランキングの上位を席巻することがある
- 極めて明白かつ強烈なメッセージが込められているが、映画史に残る傑作として一般大衆に評価されることはまずない
- 布教のためのメッセージは一般にエンターテインメントとしての面白さや芸術としての深みには何ら寄与しない
■ 5. 作家の経験と知識の限界
- 「作家は自身の経験した以上のことは書けない」という論説が従来より存在する
- エンタメ全振りであればこの限界は問題にならない:
- 大統領を主人公にしつつポストアポカリプスでの活躍を描いたり、異世界に飛ばして現世での仕事の苦悩などスパイス程度に使っている作品など普通にある
- 社会的メッセージ性を売り物にする場合は問題になる:
- リアリティのある社会描写を追求しようとすればするほど、取材や作者の実体験の範囲外に出た瞬間にボロが出る
- 『島耕作』シリーズの例:
- 主人公が課長であった初期は作者のサラリーマン経験が生きた生々しい描写が魅力とされた
- 主人公が出世の階段を登り詰めるにつれ、作者自身が経験したことのない世界を描くことになった
- 経営判断や役員としての描写におけるリアリティの欠如、政治的・経済的な視点の浅さは隠せない領域まで来て、もはや読者はネタにして擦るために読んでいると言われる始末である
- 偉大なベテラン作家ですら未知の領域において高尚な社会派であり続けることは至難の業である
■ 6. SNS時代における社会的メッセージの困難
- インターネットによる言論の可視化が状況を悪化させている
- 作品に込めた社会への警鐘や高尚な哲学が、𝕏(旧Twitter)でポストすれば「いいね」もつかず、リプライ欄でボコボコにされて終わる程度の浅いメッセージでしかないケースは後を絶たない
- 綿密な取材や専門家の監修、作家本人の深い経験をもとに社会的メッセージを作品性の中心に据えるなら評価されるだろうし、そこの良さで成功した作品もある
- 社会的メッセージがなければならないという強迫観念だけで、専門家でもないエンタメ作家が生半可な知識で社会を語ることは危険である
- 観客は敏感であり、物語の展開上不自然に挿入された説教や作者の独りよがりな思想が見えた瞬間、急速に白けてしまう
- SNSで袋叩きにされるような程度の低いメッセージであるなら、それは作品にとってノイズでしかない
■ 7. エンターテインメント作家の役割に関する結論
- 芸術性の高い作品や社会派の作品を否定するものではなく、それらも文化には必要不可欠な要素である
- 売上や評価を気にせずに自分のメッセージを出したいという動機も、出資者に見限られない限りは問題ない
- 表現は自由であり、好きにしたらよい
- エンタメは高尚であるべきという強迫観念が創作の幅を狭めるのであれば、それは害悪でしかない
- 「作品は社会的メッセージを持つべき」という主張は、エンターテインメント作家に対し過度な役割を期待しすぎている
- マスメディアが一方的に情報を発信するだけの時代であれば、クリエイターが安全圏から社会批評を行い、それを大衆が有難く拝聴するという構図も成立したかもしれない
- 現在はSNSを通じて読者や視聴者から瞬時に鋭利な反論が飛んでくる相互監視の時代である
- 純粋な娯楽の提供者に対し、専門外である社会評論家としての役割を要求するのはあまりに酷である
- 現実を忘れさせ、ワクワクさせることはエンターテインメントの原点の一つである
- 創作者がそれに専念するのは何も悪いことではなく、それに異議を唱えるのはあまりにも傲慢である