■ 1. ポリティカル・コレクトネスとの初期の遭遇
- 筆者が「ポリティカル・コレクトネス」という言葉を初めて聞いたのは1990年代はじめのアメリカの大学のキャンパスであった
- 当時はこの言葉が30年以上たった日本で意味が通じる言葉になるとは思わなかった
- 1992年の夏ごろ、大学のキャンパスで「極左の教授たちがとんでもない言語統制を大学内で敷こうとしている」といううわさが流れてきた
- 言語統制の例:
- 「背が低い(short)」は差別的だから「垂直方向に障害がある(vertically challenged)」と表現しなければならない
- 「議長」を「chairman」と呼んだらフェミニストから抗議され、「chairperson」と言い換えたらさらに抗議された
- そのたぐいの話はどれもいつどこで起きたかわからない都市伝説のようなものばかりであった
- カフェテリアでの無駄話として消費されて終わりであった
- 実際には博士論文の言葉の修正やプラトンの本の焚書などは起きていなかった
- 「極左の教授たち」が誰なのかもよくわからなかった
- 誰かが「レイシスト」「セクシスト」「ホモフォビア」などとなじっているのを聞いたこともなかった
- 「ポリティカリー・コレクト」というフレーズを使っているのを聞いたこともなかった
■ 2. ポリティカル・コレクトネス運動の捏造
- 1990年代初頭に起きた「ポリティカル・コレクトネス」の運動はリベラリズムの浸透を食い止めるためにアメリカの保守派によって捏造、操作されたものである
- ポリティカル・コレクトネスをめぐる争いは大学のキャンパスを中心に行われた
- 保守派の最終的な目的は大学の外部に議論を拡散することにあった
- 保守系の教授、学術団体、共和党支持の学生グループが様々なメディアを使った
- 実際には存在しないに等しいか、左派のなかでもかなりマイノリティのフリンジの言論をあたかもキャンパスを支配するヒステリックなファシズムのごとく描いた
- キャンパス外部の人々に嫌悪感と危機感を抱かせようとした
- 大学内の政治的な議論を左派による一方的な言論弾圧として捏造した
- メインストリーム・メディアが取り上げ、ラッシュ・リンボーのような「右翼エンターテイメント」が面白おかしく毎日のようにネタにして拡散した
■ 3. 保守派による組織的準備
- このムーヴメントは偶然出てきたものではない
- レーガン政権下での準備:
- ウィリアム・ジョン・ベネットやリン・チェイニーによる全米人文科学基金(NEH)の掌握
- 全米学者協会(NAS)のような保守派のアジェンダを推進するための大学関係者の団体の結成
- 保守派のシンクタンクや団体による資金投下
- 共和党を中心とする保守派は1960年代のキャンパスを席巻した反戦運動と公民権運動の悪夢を根絶やしにするという目的を持ち続けた
- 冷戦が終わりを迎えようとしていたこの時期に国内のリベラル派を弱体化させようともくろんでいた
■ 4. 二段階の戦略プロセス
- 第一段階:
- レーガン政権下で大学の人文学(Humanities)の没落を指摘し警鐘を鳴らす活動が開始された
- 没落とは多文化主義、多人種主義、エスニック・マイノリティやジェンダー・マイノリティの視点からの研究が頻繁に取り上げられるようになったことを指す
- カルチュアル・スタディーズと呼ばれることもある
- アラン・ブルームの「アメリカン・マインドの終焉(1987)」がその嚆矢となった
- この本はアカデミアに蔓延する相対主義を憂慮する議論のテンプレートとなった
- 第二段階:
- 没落した大学のキャンパスをフェミニストや人種、ジェンダーのマイノリティ(保守派は彼らをマルクス主義者と呼んだ)が乗っ取って好き勝手にやっていると危機をあおった
- ディネシュ・ドゥスーザの「Illiberal Education(1991)」が最も有名である
- 「Politically Correct」という表現をキャンパスにおける言語統制という文脈で紹介した
- ポリティカル・コレクトネスを批判する言説の雛形をつくった
■ 5. 保守系シンクタンクと財団の関与
- アラン・ブルームはジョン・M・オリン財団から研究資金を得ていた
- ブルームはシカゴ大学のオリン・センターを運営もしていた
- ディネシュ・ドゥスーザはジョン・M・オリン財団から30,000ドルの援助を受けて「Illiberal Education」を執筆した
- 財団は20,000ドルで1,000部を買い上げて関係者に献本した
- ドゥスーザはアメリカン・エンタープライズ・インスティチュートのフェローとして98,400ドルの資金を得た
- チャールズ・J・サイクスの「The Hollow Men(1990)」はダートマス大学の卒業生による保守団体アーネスト・マーティン・ホプキンス財団の援助を受けて執筆された
- ロジャー・キンボールの「Tenured Radicals(1990)」、マーティン・アンダーソンの「Imposters in the Temple(1992)」、クリスティーナ・ホフ・ソマーズの「Who Stole Feminism?(1994)」などもジョン・M・オリン財団、フーヴァー・インスティチュート、ブラッドリー財団、スカイフ財団から資金援助を受けて出版された
- ジョン・M・オリン財団は1991年だけで100万ドル以上の資金をこれらの研究活動に投下している
■ 6. 批判の二つの軸
- 第一の軸:
- 脱西洋化する学問そのものを西洋文化の歴史を無視した質の低いものとみなす
- その生産性の低さ、一般人の感覚からの乖離、下品さや粗雑さをあげつらう
- 第二の軸:
- 左翼はそういった脱西洋化を正統化するために保守派を「レイシスト」「セクシスト」と呼んで言論の自由を弾圧している
- この二つの軸は議論が紛糾するたびに互換と補間を繰り返す
- 保守派が言論のヘゲモニー(攻撃的位置)をとれるように機能している
■ 7. マスメディアでの拡散
- 1991年を境に堰を切ったように研究や書籍が市場にあらわれた
- 同時にテレビ、ラジオ、新聞、雑誌といったマスメディアで一般市民が理解できるナラティブが用意された
- それまで大学のキャンパスを席巻しているはずの言語統制、思想統制はほとんどメインストリームのメディアには登場していなかった
- 1990年暮れから1991年前半の数ヶ月で突然「ポリティカル・コレクトネス」はアメリカ社会に蔓延するリベラルの病として認知された
- キャンパスの一般人からすれば、先に「反ポリティカル・コレクトネス」の立場の意見を聞かされて、初めて「ポリティカル・コレクトネス」という存在を知った
- "Political Correctness"と"Politically Correct"がアメリカの新聞に登場した頻度は1991年から突如増加している
■ 8. 保守系学生新聞のネットワーク
- 各大学の保守系学生新聞が「ポリティカル・コレクトネス」のストーリーを作り出して拡散していった
- 保守系学生新聞は1988年ごろからアメリカ全国の大学で登場し始めた
- 全国60の大学でネットワークを作っていた
- この資金を提供していたのがジョン・M・オリン財団であった
- このネットワークの発表する記事がマスメディアのネタになっていった
■ 9. 主要メディア記事の問題点
- マスメディアでの「ポリティカル・コレクトネス」批判の先鞭を切ったのはニューヨーク・タイムズ紙の「The Rising Hegemony of the Politically Correct」(リチャード・バーンスタイン、1990年10月28日)とニューヨーク・マガジン誌の「Are You Politically Correct?」(ジョン・テイラー、1991年1月21日号)である
- リチャード・バーンスタインの記事:
- 多人種主義、多文化主義、フェミニズム、すなわちポリティカル・コレクトネスを先導する思考が教育の質を落としていると警鐘を鳴らした
- テキサス大学の1年生の英語のコースでの多文化主義に基づいたカリキュラムに反対した教授が左翼学生から攻撃された話を挙げた
- 大学のキャンパスを危険な言論弾圧が支配していると論じた
- ニューヨーク・マガジンの記事:
- さらにセンセーショナルな内容である
- ハーバード大学のテルムストロム教授がキャンパスで「レイシスト」と大声で罵倒されるシーンの描写から始まる
- 教授は授業でアメリカ先住民を「Native American」と呼ばずに「Indian」と呼んだために左翼学生による糾弾の格好の標的になった
- 最初の見開きページには文化大革命の紅衛兵のパレードとナチス・ドイツの焚書の写真が大きくフィーチャーされた
- 全体主義政権下の恐怖政治と左翼による「ポリティカル・コレクトネス」をイメージとして直結して提示した
■ 10. 記事の信憑性の問題
- これらの記事は極めて衝撃的に迎えられ、多くの新聞やテレビが記事の内容を引き写しながら「ポリティカル・コレクトネス」を一般向けに紹介していった
- 記事の異様な点:
- 「ポリティカル・コレクトネス」を推進する側の人間が一人も実名で登場しない
- マイノリティの学生、アイヴィー・リーグのフェミニスト、大学の職員といった具合で気味の悪いのっぺらぼうが怒り狂って罵倒している様子が描かれている
- 一方で罵倒される被害者は実名で登場しいかに大学社会のなかで抹殺されたかを滔々と語る
- 書かれている事件が実際に描写されている通りに起きたかどうかも疑問である
- テキサス大学の英語のクラスの件もハーバード大学のテルムストロム教授の件も事実とはかなり異なることが指摘されている
- テルムストロム教授自身が「記事で書かれているようなことは起きていない」と証言している
- リチャード・バーンスタインはこの後ブラッドレー財団の援助を受けて「Dictatorship of Virtue(1994)」を発表した
- ジョン・テイラーという人物はほとんどつかみどころがない
- 彼はフリーランスのジャーナリストで普段はエンターテイメント・メディア、プロフェッショナル・スポーツの舞台裏を取材していた
- 彼が政治と学問について何かを書いたのは後にも先にもこの記事一本きりである
- 彼の著書のバイオグラフィーに「Are You Politically Correct?」が言及されることは一度もない
- 誰一人として彼を今も深い溝を作り続けている「ポリティカル・コレクトネス」を人気の概念にした張本人として追及していない
■ 11. 極右メディアによるさらなる拡大
- 造られた虚構のリベラル恐怖政治を超保守派のラッシュ・リンボーやパット・ロバートソンたちが自らのラジオ番組やテレビ番組でさらにデフォルメしてジョークにしたり恐怖をあおったりした
- リンボーは有名な「フェミナチ(Feminazis)」という造語の作者である
- 面白おかしくエンターテイメントとして毎日提供した
- マスメディアのスペクトラムの最も極右はこのような「政治エンターテイメント」を通じて支持層を拡大していった
- 1992年に出版された「The Official Politically Correct Dictionary and Handbook」はポリティカル・コレクトネスを茶化した内容でベストセラーになった
■ 12. シンクタンクの戦略の巧妙さ
- シンクタンクや財団は直接ラッシュ・リンボーやパット・ロバートソンのラジオ、TV番組のスポンサーになったわけではない
- 最も庶民から遠く離れた象牙の塔の最もエソテリックな研究に資金をつぎ込み続けた
- アラン・ブルームやディネシュ・ドゥスーザにジャック・デリダ、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコーらの思想を批判する研究をさせた
- カルチュラル・スタディーズなどのリベラル寄りの人文学研究の枠組みに疑問符を差し込ませただけである
- 大学のロースクールに長期間にわたって資金を投下し、若い弁護士、検察官、判事、その他の法律家たちを保守的な思想に誘導していった
- これは長期的にみてアメリカの司法を共和党が掌握していく道を舗装して整備したと言える
- リベラル勢も人文学研究にもちろん投資していたが保守派のほうが極めて効率的に影響力を生み出した
- オリン財団のディレクターによれば右派は年間100万ドル程度しか大学での研究資金を投下していないのに対し、左派は年間1200万ドルも投下していたという
- この30年間で保守派が作り出した支持基盤を考えるとプロパガンダの設計が極めてうまいというよりほかない
■ 13. 保守派の動機と背景
- 保守派が恐れたのは彼らの考えるアメリカの国益の追求が左翼の批判にさらされて頓挫することであった
- ノーム・チョムスキーに同調しているようなインテリの運動を封じる方法をいろいろ試しているうちについ軌道に乗ってしまった作戦の一つだったのではないか
- 冷戦の終結とともにカリフォルニアのような防衛産業に依存している州では財政引き締めが懸念された
- 旧来の学者たち(その多くは全米学者協会(NAS)に所属していた)は自分たちの財源を確保することに躍起になった
- スタンフォードがポリティカル・コレクトネスの震源地になったのも偶然ではない
- この時期にレーガン政権や共和党、あるいはワシントンの体制派が仕掛けた世論操作の運動:
- 音楽の低モラル化に対するレーティング制導入
- 生活保護制度の悪用横行に対する制度縮小
- 企業の強大化とトリクルダウン経済
- 都市部の犯罪増加に対する移民制限
- 暴力犯罪に対する銃規制緩和
- そういった運動にはなんらかの利益団体があり、彼ら彼女らの利益確保のためにアジェンダが用意され、レトリックが生成され、議論がメディアによって広められた
■ 14. ポリティカル・コレクトネスの現在
- ポリティカル・コレクトネスは30年の時を経て変化した
- もともとは保守派によって造られた侮辱的な言葉であった
- むしろ左派によって「そのとおり、我々も、君たちも、政治的に正しい思考と言動をするべきだ」というニュアンスに転覆された
- さらに陳腐化していった
- 2020年代には「ウォーク(Woke)」「キャンセル・カルチャー(Cancel Culture)」という言葉に変貌した
- 保守派によって準備された二段階のプロセスがこれらの言葉に反映されている:
- 人種差別、ジェンダー差別、階級格差について議論すること(ウォーク)
- 政治的に正しくない言動を糾弾しその人物を排除していくこと(キャンセル・カルチャー)
- 今では「ウォーク」も「キャンセル・カルチャー」も保守派によってまた侮辱的に使用されている
■ 15. 登場人物たちのその後
- ジョージ・F・ウィルは80歳となったいま「かつて48の州で同性愛は違法だった、けれどアメリカはそれから大幅に進歩した」と目を細めている
- ウィリアム・ジョン・ベネット:
- レーガン政権で教育大臣をつとめて口角泡を飛ばしながらリベラルを非難し続けた
- ジョージ・H・W・ブッシュ大統領の下でドラッグ問題に取り組んだ
- 「徳virtue」を説く本を書いてアメリカ国民にモラルの規範を示そうとした
- 高額ギャンブルの中毒であることをすっぱ抜かれてしまった
- それ以来モラルの話はしなくなった
- ディネシュ・ドゥスーザ:
- ジョン・M・オリン財団から多額の援助を受けてポリティカル・コレクトネス批判の急先鋒となった
- 今も財団に受けた恩を返し続けている
- テレビのコメンテーターなどを経て映画界に進出した
- 2012年の大ヒットドキュメンタリー『2016:オバマのアメリカ』を作った
- この中でオバマ大統領がいかにアメリカを弱体化させようとたくらんでいるかというストーリーを様々な証拠、インタビューを通して明らかにした
- 3340万ドルの興行収入があった
- その後も『アメリカ(2014)』『ヒラリーのアメリカ(2016)』『デス・オブ・ア・ネイション(2018)』『2000ミュールズ(2022)』と次々と映画を発表した
- ヒラリー・クリントン批判、トランプ前大統領礼賛、大統領選挙不正告発と時流に乗ったテーマでアメリカ極右、陰謀論信者、プラウドボーイズ達の精神的支柱となっている
- Rotten Tomatoesでの批評家による評価は雪崩のように低くなっていった
- 『オバマのアメリカ』で26%もあった評価が『ヒラリーのアメリカ』では4%、『デス・オブ・ア・ネイション』では0%にまで落ち込んだ
- 『2000ミュールズ』では誰にも点数をつけてもらえていない
- 『デス・オブ・ア・ネイション』までは『ジュラシック・パーク』『シンドラーのリスト』『マイノリティ・レポート』などスティーブン・スピルバーグの監督作品の製作をつとめた名プロデューサーであるジェラルド・R・モレンがプロデューサーをつとめている