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平和主義者に見られるある種の傲慢さについて

平和主義者は、話せば判ると主張する。

相手には話す義務など無いのに、話せると思っている。

これは1つの傲慢なのだが、それを傲慢だと認識しない。

相手にはこちらの主権や生命を尊重する気など無い可能性もあるのに、その可能性を考えない。

これもまた1つの傲慢なのだが、それを傲慢だと認識しない。

要は、『話しても分からない』レベルの多様性を認めていない。相手がこちらの権利を尊重し、こちらの言葉に耳を傾けるに違いないと考える。これは傲慢である。

私のようないわゆる右翼は、そんな期待はしない。他国が全力で国益を追求する可能性を当たり前と考える。『国益を追求した結果、日本から島を奪って泣き寝入りさせるのが最善という判断になりました』という結論を出させるわけには行かないのだ。戦力を持つというのは、『日本に割を食わせるのは国益につながらない』と算出させるのに必須であると考える。

そして、平和主義者はその辺を議論すると無理な理屈をひねり出す。

『武装を強化したら攻撃を受ける』という理屈だ。

確かに戦略上は、相手が強くなりそうなら、相手が弱いうちに攻撃するのは理に叶っている。藪蛇になる可能性もゼロではないだろう。

しかし「だから武装を強化しない」というのは、相手を『他国が強くなりそうなら攻撃するような国』を想定しているのに、『そんな国が弱い国に何もしない』という無理な仮定を置いている。

侵略なんて、隣の国が土地を持ってるという理由だけで起きるものなのに。

南海トラフ地震に備えない人は馬鹿だ。それは可能性の問題でいつか起こる可能性が高いからだ。

しかし平和主義者は、可能性に備える事をしない。『何もしなければ何も起こらない』に全賭けするのだ。本人が賭けるだけなら勝手にすれば良いのだが、かかっているのは国民全員の命運である。つまり、私の命や財産も含まれている。

戦争に備えると戦争を招き寄せる、と言わんばかりのシャーマニズムみたいな平和主義に自分や家族の命運を賭けるなどまっぴらなのだが、備えろと主張すると戦争大好きな人非人扱いである。

他国が強くなりそうなら攻撃するような国に対して武装しないというのは、その支配を受け入れるという事なのに。

あげくの果てに『今までもこれで大丈夫だったじゃないか』と主張するのだ。『これ』の中には、東京のど真ん中に朝鮮戦争の国連軍後方司令部や第五空軍や第七艦隊が存在して米国の太平洋戦略の中核をなしているという現実もあるはずだが、多分こういう人達には、そういう世界最強国の軍事拠点ではなく、憲法9条を指して『これ』と言ってるのだろう。

国際環境はどんどん悪い方向に変わってるのに、『このままでも何も起こらないだろう』という読みというより願望に、他人の生命と財産を賭けさせようというのは、傲慢以外のなんだろうか。

『何も起こらない』の中に年間700回のスクランブルが含まれているかも怪しいものである。

平和主義者はもう少し謙虚になったほうが良い。