社会復帰施設で働いていた時に、「不幸な人って、不幸になる行動する時だけ異常な行動力発揮してる」と感じることが多くありました。
そしてこれは8年精神保健福祉士として働いていますが、あるあるでした。
最近、感じるのは「性格の問題」ではないと思うのです。
考えた時に
「馴染みのある地獄」というコンフォートゾーンというのがあります。人にとって最大の恐怖は「変化」だとしたとき、たとえ今の状況が苦しくても、それは本人にとって「予測可能な日常」と捉えることができます。
↳未知の幸福よりも、慣れ親しんだ不幸のほうが安全だと感じがち。
↳不幸になる行動は、本人にとって「いつもの自分」を取り戻すためのセルフケア。
また利得を得られることがあります。
困った状況を作ることで、周囲からの関心や公的支援を引き寄せようとする無意識の動きですね。
「不幸な自分」でいれば、周囲から過度な期待をされず、失敗しても不幸だから仕方ない、という免罪符が得られます。その「安心感」を守るために、異常なまでの行動力が発揮されます。そのエネルギーは計り知れないです。
こうした状況を目の当たりにしたとき、僕は「なんでわざわざそんなことを!」と責めがちになっていましたが、最近は「それほどの行動力があるなら、そのベクトルさえ変われば、回復のエネルギーも凄まじいはずだ」と考えるようにしています。
不幸への行動力は、裏を返せば「現状を変えたい、あるいは自分を守りたい」という強い気持ちの現れでもあります。
そのエネルギーを否定せず、まずは「そこまでして自分を守ろうとしている背景」を一緒に整理していくことから始められます。
不幸への全力疾走を止めるには、本人が「幸せになっても安全なんだ」と心の底から思えるための、小さな成功体験と心の余白が必要不可欠だと今考えています。