■ 1. 事件の概要と批判の対象
- 同志社国際高校の生徒2名が辺野古沖の研修旅行中、転覆事故で死亡
- 文部科学省は当該活動を教育基本法14条(政治的活動の禁止)違反と判定
- 内田樹氏はAERA DIGITALにて文科省の指摘を「権力による基本的人権の弾圧」と断じ、辺野古の見学を「価値中立的な行動」と主張
- 筆者は内田氏の主張を「死者を政治的主張のダシにする悪質な詭弁」として論駁
■ 2. 「道の駅」と「抗議船」の意図的混同
- 内田氏の論拠:
- 嘉手納基地横の「道の駅」から戦闘機を見る軍事オタクを例示し「何かを見ることを政治的活動とみなすことは論理的に不可能」と主張
- 筆者の反論:
- 「道の駅」は誰もが安全に利用できる公共の商業施設であり、遠巻きに眺める行為は「観察」の範疇
- 事故現場は辺野古沖の海上であり、生徒は政治的性質を持つ「抗議船(または市民団体関係船舶)」に乗船していた
- 「安全な展望台からの見学」と「反対派の船に乗り込んで現場に接近する行為」を同一視する論法は学者としての客観性・知性の放棄
■ 3. 「内心の自由」を盾にした安全配慮義務違反の隠蔽
- 内田氏の論拠:
- 憲法19条(内心の自由)を引用し、工事現場を見て何を感じるかは生徒各自の自由と主張
- 筆者の反論:
- 問題の本質は生徒の「内心の自由」ではなく、学校(公教育の主体)が特定の政治運動の現場に生徒を物理的に連れ出した「行為の客観的偏向性」と「引率管理の異常性」
- 内田氏の論理を適用すれば、暴力的なデモのただ中に生徒を引率することすら正当化される
- 内田氏は管理責任について一言触れるのみで以後は政府批判に終始し、亡くなった生徒をイデオロギー正当化の材料として消費している
■ 4. 教育の政治的中立性と知識人の責任
- 文科省による教育基本法14条違反の初指摘は「権力の弾圧」ではなく、「平和教育という美名に隠された政治運動への動員」が生徒の死という最悪の形で限界を露呈したことへの対応
- 「見学の価値中立性」という言葉遊びで、学校が特定の政治的アジェンダに生徒を巻き込み死に至らしめた事実を漂白することは許されない
- 教育現場が政治活動の道具にされることの危険性と、それを「内心の自由」で擁護する知識人の無責任さを看過してはならない