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なぜ『日本』で革命が起きないのか?

要約:

■ 1. 問題提起と基本概念

  • 「日本で革命が起きないのは日本国民の国民性や知性の低さが原因だ」という言説は完全に誤りである
  • 革命(天命を改めること)の対義は「順命」(天命に従うこと)であり、日本では西洋的なレボリューションが「革命」ではなく「順命」の形をとって行われてきた
  • 天命という政治的正当性の概念は各国に存在し、日本では神武天皇即位以来2680年間、天命は変わっていない
  • 大化の改新・明治維新もレボリューションであったが、皇祖高祖に従う「順命」の形をとっていた
  • 戦後の革命失敗の原因は日本国民全体ではなく、戦後日本左翼の指導部自身の問題にある

■ 2. 戦前の革命勢力と1945年

  • 関東大震災を契機に大正デモクラシーは断絶し、革命勢力は2方向へ分裂した
    • 日本共産党に代表される反体制的激烈路線
    • 天皇のもと社会を作り替える「順命」的路線(陸軍)
  • 戦前最大の革命勢力は共産党ではなく日本陸軍であったとする見解がある
  • 1945年の敗戦によって戦前の革命勢力は完全に死滅し、ロシア革命以来冷凍保存されてきた共産主義思想が息を吹き返した
  • GHQの初期占領政策は民主化推進の立場から日本共産党と蜜月関係にあった

■ 3. 戦後第1の革命的情勢: 2・1ゼネスト(1947年)

  • 1945年から46年にかけて労働運動が急速に拡大した
    • 1946年2月: 国鉄65万人決起
    • 1946年5月: 食糧メーデー50万人決起
    • 1946年8月: 産別会議結成(国家基幹産業労働者中心)
    • 1946年10月闘争: 電気産業労組が年功序列賃金体系を獲得
  • 1946年末から1947年初頭にかけてゼネストへ向け情勢が収斂した
    • 全官公庁共同闘争委員会が公務員260万人を組織
    • 全国労働組合共同闘争委員会が結成され、400万人規模の決起態勢が整った
  • 2月1日のゼネストはGHQの中止命令に共産党指導部が屈し不発に終わった
  • 敗北の本質的原因は共産党の権力認識の欠如であった
    • 当時の最高権力者はGHQであり、吉田内閣を攻撃対象とすることは権力の本体を回避した行為にすぎなかった
    • 共産党はアメリカを擁護しながら吉田内閣打倒を唱えるという論理矛盾を抱えていた
  • この敗北が日本の労働組合運動に致命的打撃を与えた
    • 産別会議内に共産党支配に反対する「産別民主化同盟」が結成され、共産党は労働組合の主導権を失った
    • 産業別労働組合(産別)は解体され、以後日本の組合運動は企業別組合が主流となった
    • 企業別組合は同一産業全体での統一行動が不可能であり、労働者の利益代表として機能しにくい構造である

■ 4. 1950年代の後退と共産党の失策

  • GHQのレッドパージ、政令2011号による公務員スト権剥奪、超ドッジラインの敷設など、左翼への弾圧が相次いだ
  • 共産党はレッドパージを受けながらも武装闘争を展開したが、その実態はアリバイ的なものにすぎなかった
    • GHQや永田町・霞が関を攻撃することなく、田舎の駐在所を標的にするのみであった
    • 在日朝鮮人・中国人を武装闘争の先兵として利用しながら、表向き無関係を装った
  • 1950年のコミンフォルム批判はこの態度に対するスターリンの激怒が背景にあった
  • 2・1ゼネスト後、共産党は「振り上げた拳の落とし所」を示さず、革命エネルギーの行き場を失わせた
  • 「アプレゲール」と呼ばれる徹底した虚無主義の青年層が出現した
    • ゼネスト時に20歳前後の世代で、戦争と敗戦、共産革命の失敗を立て続けに経験した
    • 全ての秩序に冷淡だが自己利害のみを緻密に計算する精神を持ち、犯罪行為に向かった者も多かった

■ 5. 戦後第2の革命的情勢: 三井三池炭鉱争議(1960年)

  • 三井三池炭鉱は日本資本主義の心臓であり、1889年以来三井財閥が経営していた
    • 囚人労働を基盤とした歴史を持ち、年平均120人が命を落とす過酷な労働環境だった
    • 1953年の第1次三池闘争で三池労組は指名解雇を完全撤回させ、以後「日本のソビエト」と形容される自治区を形成した
    • 1959年には死亡事故者がわずか1人にまで減少するほどの自治的管理が実現していた
  • 1959年12月、三井鉱山は1278名の指名解雇と6000人規模の人員削減を通告した
    • 石炭から石油へのエネルギー転換政策(スクラップ&ビルド)を背景とした産業全体の切り捨てであった
  • 1960年1月から無期限ストライキとロックアウトが続く総資本対総労働の全面衝突が起きた
    • 安保闘争の動員警察官延べ43万人に対し、三池闘争では延べ74万人が配備された
    • 日経連は「安保は外交問題だが三池は資本主義体制そのものへの動揺だ」と発言した
  • しかし三池労組は最初から見捨てられていた
    • 総評・炭労・社会党・共産党は現地に集ったが、三池を反政府・反安保の代理戦争の場として利用した
    • 生活物資のカンパさえ組合員に届かず、組合員は飢えに苦しんだ
    • 共産党はパンではなくメガホンを持ちこみ、反米愛国のスローガンを連呼した
  • 支援の放棄と分裂の結果
    • 総評が中労委に仲裁申し入れを行い、炭労が斡旋案受諾を強行した
    • 三池労組は第1組合と第2組合に分裂し、組合同士の暴力衝突で死者が出た
    • 1960年9月6日、三池は敗北した
  • 三池の敗北の意味
    • 安保闘争は象徴的・抽象的な闘争であったのに対し、三池は職と生活をかけた具体的・実質的な闘争であった
    • 三池の敗北によって戦後積み上げてきた日本の労働者運動は完全に終了した
    • 左翼指導部は自らが煽った闘争を放棄し、成果だけを回収しようとした「革命の中抜き」を繰り返した

■ 6. 60年安保闘争の評価

  • 1960年安保闘争は2・1ゼネストほどの革命的情勢ではなく、共産党がすでに革命勢力としての主導権を失った後の出来事であった
  • 安保闘争は「壮大なゼロ」という2つの意味において革命の条件を欠いていた
    • 全学連が33万人を擁しながら指揮系統を持たなかった組織的限界
    • 三井三池を置き去りにした、労働者不在の運動であったこと
  • 安保闘争は民主主義擁護・反米愛国として国民的支持を集めたが、指導部は「日本帝国主義復活阻止」のスローガンが受け入れられたと誤認した
  • この誤認が1970年代以降の左翼自滅の出発点となった

■ 7. 1970年闘争と三島由紀夫

  • 1970年闘争には2・1や三池とは異なり、本土では労働者の参加が実質的に存在しなかった
  • 例外として沖縄の安保・返還協定反対闘争は基地労働者を中心とした実質的闘争であり、本土よりはるかに内実があった
  • 三島由紀夫の決起はクーデターの形をとったが、実際には戦後日本の矛盾を解体しようとした試みであった
    • 「この国では極端な保守以外に改革はできない」とした三島の思想は順命的レボリューションを志向した
    • しかし日本には戒厳令が存在せず、自衛隊の権限は内閣総理大臣に紐付くため、シビリアンコントロールを超えた行動は法的根拠を持てなかった
  • 1970年以降、改憲と護憲の構図は変化せず、日本の基本的政治地図は固定化された

■ 8. 韓国との比較: 朴正熙政権の示唆

  • 韓国は1960年の4月革命で学生運動が李承晩独裁を打倒し、民主主義と議会政治を実現した
  • 議会主義の機能不全のなかで朴正熙の5・16クーデターが起きた
    • 当時の知識人・学生・左翼勢力から当初歓迎されたが、後に反共国家建設の大弾圧に転じた
  • 朴正熙は漢字廃止などを通じて韓国から「時間的連続性」を切断した
    • これにより韓国は「民族」という空間的アイデンティティを核とした政治闘争が可能になった
    • 韓国左翼の強さの最大の原因の一端は朴正熙政権による時間的連続の切断にある
  • 日本では天皇という時間的連続性を断ち切らなければ革命は不可能だが、それは到底実現できるものではない

■ 9. 日本における革命不可能の構造的要因

  • 日本人のアイデンティティは空間的(民族・土地・経済)ではなく、天皇を軸とした時間的連続性に基づく
  • 左翼はこの時間的連続性への「アンチテーゼ」としてのみ存在できたが、固有の価値を形成できなかった
    • 革命が不可能になれば「市民運動」と言い換え、階級闘争が困難になれば「多様性」と言い換えた
    • 責任放棄の際は「寄り添う」という言葉を用いた
  • 日本という定テーゼと左翼というアンチテーゼの対立構造は止揚されないまま継続している
    • 三島由紀夫がこの止揚を試みたが、1970年の決起は弁証法的クーデターを許さない戦後体制によって不発に終わった
  • 1945年の敗戦、とりわけ本土決戦なき終戦が日本の時間的連続性に「ベール」をかけた
    • 天皇という時間的存在は現実に存在するにもかかわらず、国民がその感覚を持てなくなった
    • 戦後体制がこの「見えなさ」を作り出した

■ 10. 結論: 左翼指導部の失敗の本質

  • 日本の戦後革命失敗の一貫した原因は左翼指導部自身の問題である
    • 2・1ゼネスト: 権力の本体(GHQ)を回避し、従属的な吉田内閣のみを攻撃した指揮系統の腐敗
    • 三池闘争: 労働者の生活と生産を守る闘争を自らの政治的利益のための代理戦争に利用し、最終的に放棄した
    • 1950年代武装闘争: GHQを攻撃せず田舎の駐在所のみを標的にしたアリバイ的闘争
  • 日本左翼は一貫して逃走を選んできた
    • 敗北や失敗そのものは悪いわけではなく、逃走こそが最も重大な悪である
    • 労働者軽視・労働者の責任への無応答
    • 正面戦(最高権力との直接対決)の回避
    • 自らの失敗の総括拒否と責任の大衆・現場への転嫁
  • 革命が起きない理由を日本国民の国民性や知性の問題に帰するのは誤りであり、左翼指導部の問題を国民全体の問題にすり替えてきたこと自体が左翼最大の問題である