■ 1. 事件の概要
- 1993年1月13日、山形県新庄市立明倫中学校1年生の児玉有平さん(13歳)が体育館の用具室で体操用マット(高さ1.2m)に頭から押し込まれた状態で発見された
- 身長1.5mだった有平さんは脛まで埋まった逆さの状態で約3時間苦しんだとみられ、死因は窒息死と判定された
- 傷害および監禁致死の疑いで、同校に通う元少年7人が逮捕・補導された
- 事件から33年が経過した現在も遺族による訴訟は継続しており、2025年7月15日には元少年3人に対し約1億1260万円の支払い命令が下された
■ 2. 遺族の心情と日常
- 父の昭平さん(現在77歳)は有平さんのことを忘れた日はないと述べている
- 日常的な追悼:
- 毎朝、仏壇への線香・供物の準備が昭平さんの最初の仕事である
- 母は毎朝「ゆうちゃん」と声をかけながら茶を供えている
- 仏壇の横にはアルバムから選んだ写真を写真立てに入れて並べている
- 家族間の対話:
- 遺された家族4人(父、母、兄、妹)は互いに有平さんの話をすることがほとんどない
- 話題にすることで精神のバランスが崩れることを懸念しているためである
- 事件後、家族全員のハートの一角が壊れており、一生治らないと昭平さんは語る
- 具体的な出来事:
- 妹が中学生のとき約40万円の高級スーツを欲しがり、母が購入した
- 「有平はそんなことすら何一つできなかった」という母の言葉に昭平さんも同意し、車の中で突然発狂したように泣き喚いたことがあると語る
- 有平さんの自画像を基にした純金のペンダントを銀座の田崎真珠で特注した
- 表面に有平さんの自画像(本人が描いたマンガの自画像)をデザイン
- 裏面に遺された家族4人の名前を彫った
- 家族全員が一つずつ所持しており、常に「家族5人一緒にいる」という形にしている
■ 3. 少年たちの態度変化と日弁連の介入
- 捜査初期には元少年たちが事件への関与を認める供述をしていた
- 帰宅後に親から「やっていないと言いなさい」と指示され、翌日になると前日の供述を撤回するケースが繰り返され、供述調書の作成に時間を要したと昭平さんは聞いている
- 事件直後の謝罪:
- ある少年の父親は毎週水曜日(有平さんが亡くなった曜日)に花と線香を持参して謝罪に訪れていた
- 別の少年の父親も床に這いつくばるように土下座していた
- 日弁連が少年たちに介入した後、少年たちが「自分たちは関与していない」と主張するようになると、保護者が謝罪に来ることは一切なくなった
■ 4. 少年審判と民事訴訟
- 少年審判の結果:
- 当時12歳だった少年を除く6人を対象に審判が行われた
- 山形家裁は3人を少年院・教護院送致の保護処分、3人を不処分とした
- 民事訴訟の提起:
- 少年審判終了後の1995年、昭平さんは少年7人を相手に損害賠償請求訴訟を起こした
- 目的は金銭ではなく、証拠を調べ、公開法廷で有平さんに何が起きたかを確定させることにあった
- 遺族が訴訟に踏み切った背景:
- 当時の少年法では遺族は少年審判に参加できず、どのような証拠が出され何が話されたかを十分に知ることができなかった
- 民事裁判への参加が、事件の真相を知るための数少ない手段であった