腐女子がホモって単語をカジュアルに使うことを延々と批判してるんだけど、彼女たちは「差別の意図が無いから差別じゃない」ってロジックを使うのね。これはシャルリーの件でも見られたんだけど、問題は「意図の有無」ではなく「意味の有無」である事は明白なんですけどね。
ホモという単語自体が侮蔑語として機能してきた歴史的経緯を考えると、まぁそうかなと思わなくもない一方で、「ホモ」という単語が悪意なく使える単語として蘇生しつつあるという見方もできて、どうしたものかという感じではあるな。
ついでに言うと、シャルリーは完全に悪意があっただろ。「意味としての有無」から見ても越えちゃいけないラインを越えてたように思える。