■ 1. 言葉と非-人間化:ジェノサイドへの連鎖
- 歴史上のジェノサイドや大量虐殺には、被害者を人間扱いしない「非-人間化」のレトリックが必ず伴っている
- 1994年ルワンダ虐殺では、フツ族がツチ族を「ゴキブリ」と呼び、「ゴキブリを駆除しよう」と呼びかけた
- 日本軍731部隊では、人体実験の被験者を「マルタ(丸太)」と呼んでいた
- ガザ地区においてイスラエル政府高官がパレスチナ人を「ヒューマン・アニマル」と発言した
- 「私たちは人間相手にそんな残酷なことはできない」という心理を操作するために言葉が使われる
- 「たかが言葉」であっても、言葉は人々を虐殺へと導く力を持つ
- マスコミの「被告」「身柄」などの言葉遣いや、収監者を名前ではなく番号で呼ぶ慣行も同様の問題をはらむ
■ 2. 司法の目的:応報から修復へ
- 古代的な「応報的司法」(ハンムラビ法典的な「目には目を」)は、「やったことに同じことをやりかえす」発想である
- 1970年代以降、「修復的司法」の考え方が台頭した
- 修復的司法の目的:
- 単に「罰を与える」だけでなく、被害者・加害者・社会のバランスを取り直す
- 再犯防止と加害者の更生
- 被害者が日常に帰れるようにする
- 無期刑・死刑以外の受刑者はいつか社会に戻るため、更生を考える必要がある
- 「司法(justice)」とは、罰するためだけでなく、「みんなが社会でやっていくためのルールと秩序」である
■ 3. 公共訴訟と当事者のアイデンティティ
- 公共訴訟の原告が求めているのは「特別扱い」ではなく「普通に扱われること」である
- タトゥー彫り師訴訟、クラブ規制訴訟、持続化給付金訴訟などが例として挙げられる
- 「この私であるだけ、こういう仕事をしているだけで、なぜみんなと同じに扱われないのか」という問いかけである
- 公共訴訟は少数者のためだけでなく、「みんな・マジョリティーのための訴訟でもある」
- 公共訴訟の原告は、「社会全体を代表して役回りを引き受けている」と捉えることができる
- 当事者を「過度に特別視しない」ことが、お互いにとって望ましい関係を生む
■ 4. 被害者と加害者:役割を超えた人生
- 被害者・原告は、未来永劫その立場にとらわれ続ける必要はない
- 犯罪被害者の事例:
- 子を亡くしたお母さんも、推し活を楽しんだり笑ったりしながら自分の人生を生きてよい
- 「被害者らしくない」と非難されることがあるが、司法は「どんな人であっても等しく扱われる」コンセプトを持つ
- 袴田事件の袴田ひで子さん(93歳)は、再審法改正のために全国を飛び回り「公共の存在」を担い続けている
- 早く私的な時間を穏やかに過ごせるようになってほしいという思いが示されている
- 加害者についても、罪を償った後は「それだけの存在」でなくても構わないかもしれない
- 修復的司法のコンセプトは、「被害者が被害者でなくなれる」可能性を含んでいる
- 一人の人間の中に「公共的なもの」と「私的なもの」が同時に存在し得る
■ 5. バザールとクラブ:公共空間とプライベート空間
- リチャード・ローティが提唱する「バザール」(公共的な場)と「クラブ」(私的な場)の区別:
- バザールでは公共的な正しさで言葉がジャッジされる
- クラブでは気を抜いたり、ちょっと危ういことも言えたりする
- ソーシャルメディアの普及により、あらゆる言葉がバザール(公共)にさらされるようになった
- 10年前のつぶやきが批判対象になるなど、発言者がビクビクしながら言葉を使わなければならない状況になっている
- クラブ的な場所(私的で緊張を緩和できる空間)を作ることが、現代社会でますます難しくなっている
■ 6. カンバセーションの意義と大阪文化
- ローティが重視した「カンバセーション(conversation)」の語源:
- ラテン語「conversari」=「一緒にいる」という意味
- 「対話(dialogue)」が「論理・言葉を介した営み」であるのに対し、より手前の「ただ一緒にいること」を指す
- 「一緒にいることの緊張をどう緩和するか」がカンバセーションの重要なポイントである
- 大阪文化とカンバセーション:
- 大阪の笑いは個人が単体で面白いのではなく、コミュニケーションの中でチームが実現するもの
- ツッコミなどの技法を通じて場の緊張感を緩和する文化がある
- 多様な人を受け入れる器の大きさ・温かさがある
- 東京は「人を役割で見がち」で閉塞感がある
- 身体性の重要性:
- 刑事弁護人は直接接見し、体を運んで顔を合わせる経験を積む
- 実際にリアルに相手と目を合わせることが、カンバセーションの技法を育てる
- 私たちの言葉遣いを少しずつ訂正しながら、「みんなにとってなるべく生きやすくしていく」ことが必要である