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「就職氷河期世代が苦しかったのは、ブルーカラーの仕事を選ばなかったからだ」という話を見かけますが...

「就職氷河期世代が苦しかったのは、ブルーカラーの仕事を選ばなかったからだ」

という話を見かけますが、今もゴリゴリのブルーカラーで週6勤務している福祉系インフラ土方の私からすると、

マジで何言ってんだこいつ、ですね。

氷河期世代が全員、冷暖房の効いたオフィスでスーツを着る仕事だけを待っていたとでも思っているのでしょうか。

身体を使う仕事へ行った人間なんて、いくらでもいます。

見えていないだけです。

建設へ行った。

物流へ行った。

工場へ行った。

介護へ行った。

警備へ行った。

非正規でも何でも、とにかく食うために働いた。

そしてそこで、低賃金、長時間労働、使い捨てに近い働かせ方に、死にものぐるいで耐えてきた人たちがいる。

それを今になって、

「仕事はあった」

「選ばなければ働けた」

と言う。

生きるためなら、どんな賃金でも、どんな労働時間でも、どんな扱いでも受け入れろ。

そんな状態を「雇用機会があった」と呼ぶのは、絶対に違います。

そして当然、ホワイトカラーへ行けた人が天国だったわけでもありません。

ブルーカラーへ行った人も、非正規へ行った人も、何とか正社員になった人も、それぞれ違う形で氷河期の傷を背負っています。

それを二十年以上経ってから、

「仕事を選んでいたからだ」

と本人の選択の問題に書き換えるのは、あまりにも短絡的です。

あの時、私たちには「好きな道を選べるほどの道」なんてありませんでした。

入口そのものが無かった。

その中で、僅かに残っていた細い道を選ばなかった人間が悪い、と今になって言う。

これほど残酷な後出しジャンケンもないと思います。

社会が入口を狭めた。 企業が人を育てなかった。 非正規や低賃金へ押し込んだ。

それなのに最後は、

「あなたが選ばなかったから」 「あなたの努力が足りなかったから」

と個人の自己責任へ戻して終わらせる。

それは問題を解決しているのではありません。

社会の失敗を、本人の選択ミスということにして帳簿から消しているだけです。

「そんな問題は最初から存在しなかった」

そういうことにしてしまえば、直視したくない現実から逃げることだけはできますからね。

@anosasaoka

MEMO: