■ 1. 三宅香帆の批評文への評価
- 想像以上に酷い文章:
- 評論家の三宅香帆の「批評の文体をひらきたい」を読み、想像していたよりもずっと酷いと感じた
- こんな人が「文学」だの「批評」だの言い出したら世も末だが、「世」に期待するのをやめたので何と言えばよいかわからない
- 文芸評論家という肩書:
- 三宅はXのプロフィールに文芸評論家という珍しい職でごはんを食べていると書いており、愛好家やファンではない
- その肩書でこの文章を堂々と出せる事に驚き、とうとうここまで来たかと感じる
■ 2. 文体のみを語る批評
- 内容への言及の欠如:
- 最大の問題は「文体がかっこいい」「文体が好き」と言うだけで、その文章が何を語っているかという内容に一切触れていない事
- 三宅の記述:
- 小林秀雄の文体はかっこいい、蓮實重彦も柄谷行人も何を言っているかよくわからないが文体はかっこいい、と三宅は書く
- 問われるべきは内容:
- かっこいいかどうかではなく、何が書かれ何が表現されているのかを理解しているかが問われる
- それを理解できないのなら評論家と名乗れる身分ではない
- 小林秀雄の評価根拠:
- 小林秀雄が評価されているのは文体がかっこいいからではなく、その内容に価値があるからである
- かっこいいかどうかで文学者の価値が決められてはたまらない
■ 3. 主観の正当化
- 正直な告白なら問題なし:
- 小林秀雄は難しくてよくわからず自分には合わなかったと正直に言うのであれば問題はない
- 問題は自分の価値判断にあたかも正当性があるかのように語る点にあり、擁護する余地は全くない
■ 4. 私の方を向いている文体
- 有名批評家への違和感:
- 三宅は小林秀雄や蓮實重彦らの文章のどれも、私という読者のほうに向いている気がしなかったと書いている
- 女性に向いた文体という評価軸:
- 三宅はキャリア途中からの斎藤美奈子や橋本治、中島梓を評価している
- 評価の理由は女性のほうを向いている文体を書く批評家だからであり、批評が一部の男性を向いている事に違和感を感じ続けてきたという
- 評価軸への疑問:
- 何故批評家は女性の方を向いて書かなければならないのか
- 硬い文体で文章を書けば、それは一部の男性に向けて書いた事になるのか
- 反例としてのおざわようこ:
- noteの「おざわようこ」は女性でありながら真摯に小林秀雄に向かい合っており、その仕事が例外だとは言えない
■ 5. それっぽく見える文体
- 三宅の主張:
- 批評が評価されるには文体が必要であり、それっぽく見える文体が必要だと三宅は一読者として考えている
- 一部の人にだけ書いている、アカデミックから零れ落ちた話をきみたちにだけ説明する、と語りかける文体である
- 帰結への疑問:
- この繋がりでは小林秀雄も吉本隆明も江藤淳もみな「それっぽく見える、文体」に括られる
- 彼らは内容と関係なく文体のかっこつけだけで評価されている事になるのか
■ 6. 面白さという評価基準
- 橋本治と中島梓への言及:
- 三宅は両者に批評史の評価が追いついていないとし、面白いのにねと書いている
- 面白いかどうかが評価の基準なのかという疑問が残る
■ 7. 特権性批判と開いてあげる演出
- 恣意的基準による断罪:
- 三宅は「かっこいい」「私の方を向いている」「面白い」という自分の感覚だけの評価基準しか持たない
- にもかかわらず有名批評家の大半が一部の読者にだけ向かい合っていた事を問題視している
- 善人ぶった姿勢:
- 批評を一般大衆に「開いてあげる」と善人ぶっている
- 有名批評家を特権的な人達の閉鎖的な集団とみなし、それを一般大衆に開く自分を演出している
■ 8. 真実に開かれた小林秀雄
- 一部の読者への限定という誤解:
- 小林秀雄はある程度読む力のある人間を相手にしているという意味では限定的である
- ただし三宅に決して理解できないのは、小林の文章が「真実」に向かって開かれていた事である
- 小林の言葉:
- 小林は初期に、私は貧乏だが自意識を持っており、それだけで真実を言うには不足はないと言っていた
- この言葉に感動したが、三宅にその意味は理解できないだろう
- 批評による自立性の達成:
- 小林は芸術や文学の自立性を批評という形式を通じて成し遂げようとした
- その自立性の根底を支えるのは真実性に他ならない
- 普遍性の条件:
- 作品が普遍的なものと感じられ歴史的に残る事が許されるのは、それが多くの人にとって真実と感じられるからである
- これは「面白い」「かっこいい」という基準とは異なり、人間のもっと奥深いところに潜在するものである
■ 9. 文学の単純化と文学サプリ
- 外側からの特権性批判:
- 三宅は批評の内実と近代的な文学や芸術の成立の事情を一切無視している
- 批評を外側からだけ見てその特権性を批判し、それを人々に開く自らを地母神の如く見立てている
- 安売りされる文学:
- 文学を理解している人間から見れば、文学を単純化し平易化し、パッケージに詰めて安売りしているに過ぎない
- 文学サプリの配布:
- 難しい勉強もしんどい思いも嫌だという人々にとっては、現代の女神たる三宅が舞い降りる事を意味する
- 三宅は飲み込みやすい「文学サプリ」を安価で配ってくれる存在となる
- 開く事の不可能性:
- 内実を理解していない人にはそれを開く事ができず、内容を理解していない人が平易化して配布するのは不可能である
- 中身がないものにどれだけ包装紙を巻いたところで「空」という事実は変わらない
■ 10. 主観を客観に見せかける構造
- 最大の問題点:
- 「私の方を向いている」「面白い」という自分の主観が評価基準であるにもかかわらず、それをあたかも客観的に意味があるかのように語っている
■ 11. 現代大衆社会との一致
- 三宅は正解:
- これは現代の大衆社会の傾向であり、その意味では三宅香帆は正解である
- 現代では自分の好き嫌いが全ての価値判断の基準である人が極めて多く、そうした人々と三宅の思考は一致する
- 囁かれる免罪:
- 三宅は地面にねそべってだらりとしている人のところへ行き、そのままでいい、頑張らなくていいと囁く
- 小難しい文体でかっこつけている過去のオジサマ方の代わりに、もっと胃にやさしい文章をあげるというわけである
■ 12. 自分を相手に向かって開く
- 向こうに合わせる態度:
- 文章が自分の方に向いているかどうかなど考えた事がなく、いつも自分が向こうに合わせなければならないと感じてきた
- 小林秀雄が読めるまで:
- はじめの数年間は小林秀雄の文章が何を言おうとしているか全くわからなかった
- それでも過去の優れた作家がみんな小林を褒めているのだから小林には何かあるのだろうと思っていた
- ランボオ1の経験:
- 小林が学生の時に書いた短い文章「ランボオ1」を読み、意味は全くわからなかったが、何か凄いと感じた
- その時から小林が読めるようになり、わからなかった意味もするすると飲み込めるようになった
- 全てを理解できたわけではないが、小林が一体何を追っているかがはっきりとわかった
- 小林からの影響:
- 一年ほど小林秀雄ばかり読み、自分の考えも文章も影響を受けた
- 読み過ぎた結果、どこまでが自分の考えた事でどこからが小林の言った事かわからなくなった
- 食べたものが消化されて肉体の一部となった以上、今更それを分離しろと言われても無理である
- 文学サプリの不要:
- この経験には小林が私の方を向いていない問題も、特権的な一部に向けて書いた事による障害もなかった
- 三宅香帆のくれる文学サプリを飲む必要もなかった
- 開くべきは自分:
- 小林が私に自分を開く必要などなく、私が相手に向かって自分を開かなければならない
- 若造としての慄き:
- 人生の入口にぼうっと突っ立っていた若造でしかなく、自分より高い人々から学び同じ場所にたどり着けるかと慄いていた
- 高所から高い人々が降りてくる必要など全く感じていなかった
- 山を登る恐れ:
- 目の前に聳える山に対して自分がどこまで登る事ができるのか、それだけが怖かった
- 自分に期待を持っていたが、恐れてもいた
- 麓から一合目か二合目まで登ったところで人生を終えるかもしれないが、それで後悔しているわけではない
- 自分の足で歩ける:
- 現代の女神がお気楽に配布する文学サプリなどなくても、自分の足で歩ける