■ 1. 本田由紀氏の投稿をめぐる経緯
- 発端となった投稿(9月1日):
- 東京大学教授で日本教育学会会長の教育社会学者・本田由紀氏がXに投稿
- 三笠宮家の女王方の容姿に触れた投稿を引用する形で行われた
- 「目にするたびに遺伝的要因のおそろしさを感じる」と記述
- 「露出の増加が逆効果になるかもしれない」とも記述
- 批判の拡大:
- 「遺伝的とか見た目とか恐ろしい差別的な言説だ」といった指摘がSNS上で相次いだ
- 本田氏の対応:
- 数日間、投稿についてコメントも削除も一切行わなかった
- 報道機関の取材も学会を通じて断った
- 組織を巻き込む騒動への発展:
- 日本教育学会が倫理委員会で対応を検討
- 東京大学も人権尊重の観点から事実関係の把握に動いた
- 教育研究者有志による抗議声明も出された
■ 2. 個人の失言で終わらない理由
- 論点は皇室批判ではない:
- 皇室への批判は言論の自由の範囲としてある程度許容されてきた
- 問題視されたのは表現の中身
- 優生学的な発想としての受け止め:
- 「遺伝的要因のおそろしさ」は本人の言動や実績ではなく、血統・出自を根拠に否定的評価を下す表現
- 当人にはどうしようもない生まれつきの属性を評価の根拠にしている
- 本人が掲げてきた規範との不整合:
- 本田氏は長年「生まれによる差別や不平等をなくすべきだ」と主張してきた
- 学歴や家庭環境による格差、能力主義の弊害を論じてきた
- そうした人物が「皇族」という生まれを理由に、遺伝子という究極の「生まれ」に言及して否定的評価を下した
- これは揚げ足取りではなく、本人の規範への整合性を問う指摘
- オープンレターとの比較:
- 本田氏は2021年、歴史学者・呉座勇一氏を対象とした「オープンレター」の呼びかけ人の一人だった
- 当時の陣営は、SNSでの一言も個人の問題では済まず文化の問題だという立場を明確に取っていた
- 同じ物差しを自身に当てれば、今回の発言も「個人のうっかり」では済まないという指摘が繰り返されている
■ 3. 構図が繰り返される理由
- 問題の本質:
- 本田氏個人の資質の問題ではない
- 差別を批判する規範を他者にだけ厳格に適用し、自分には適用しない構造が繰り返し可視化されている
- 規範の非対称性:
- 相手の発言は文化的問題、自分の発言は個人の失言とする線引き
- 批判する側とされる側が入れ替わった瞬間に発生する
- 説明責任の回避:
- 沈黙や取材拒否は「自分には説明責任がない」というメッセージとして受け取られる
- 当初の発言以上に不信感を増幅させる
- 味方への甘さ、敵への厳しさ:
- 同じ論理構造の発言でも、誰が誰に向けて言ったかで評価が反転する
- 特定の思想陣営に固有ではない構造:
- 保守でもリベラルでも、自分たちは正しい側にいるという前提に立つと自己検証の動機が失われる
- 本件が広く共感を呼んだのは、どの陣営にも起きうるという既視感を多くの人が持ったため
■ 4. この構図への留保
- 個人の発言を陣営全体に一般化する危うさ:
- 本田氏の問題を「左派」「リベラル」全体の性質とするのは、わら人形論法になりうる
- 逆の陣営の誰かの失言を陣営全体の欺瞞として扱う場合も同様
- 本田氏を擁護する視点:
- 投稿は皇族の「露出の増加」という報道文脈に触れたものであり、公人である皇族への論評という側面がある
- 本人が沈黙を続けている以上、真意や反省の有無を外部が断定するのは難しい
- オープンレターとの比較の限界:
- 呉座氏のケースとは発言の公開範囲や文脈が異なる
- 呉座氏は当時鍵アカウントだった
- 単純に同じ基準を適用すべきと言い切れるかは議論の余地がある
■ 5. 結論
- 本件から学ぶべきこと:
- 「あの陣営は信用できない」という結論ではない
- 他者批判に使う基準を自分にも同じ厳しさで適用できているかという問い
- 基準を自分に適用できない場合:
- 批判される側だけでなく、批判する側の一貫性も同時に問われる