■ 1. 本書の成り立ちとテーマ
- 本書の経緯:
- NHK「100分de名著」で以前マルクスを扱い、今回はマルクスに大きな影響を与えたヘーゲル『精神現象学』を扱った
- 番組の内容に二章分を書き足して新書にした
- 一貫したテーマ:
- 最近のリベラルは謝れなくなっている
- だからこそ、きちんと謝れるようになるべきだという問題提起
- リベラル左派の現状:
- 社会のなかで存在感を薄れさせつつある
- 内側の立場から、リベラル左派にもう少ししっかりしてほしいと考えている
■ 2. 対話の指針としてのヘーゲル
- 「対話のできる左翼」という立ち位置:
- 「ReHacQ」や「そこまで言って委員会NP」など立場の異なる人と話す番組にも出演している
- そうした場での対話の指針になっているのがヘーゲル
- 対話は迎合ではない:
- 対話するとは、自分の信念を捨てて相手に迎合することではない
- 価値観の衝突への向き合い方:
- 人はそれぞれ異なる価値観を抱えて生き、価値観どうしは衝突しうる
- あらかじめ定義された抽象的な「正義」を掲げて押しつけるだけでは、自由な社会にはならない
- 衝突を避けず、衝突を通じて自分自身も変わり、相手との関係そのものを作り直していくべき
- 不断の変化と自由:
- ヘーゲルは、この不断の変化を自由にとって不可欠な契機と考えた
■ 3. 告白と赦し
- リベラルの自己点検:
- 分断を嘆くのは主にリベラルの側だが、リベラル自身が分断を温存している面もある
- 本書にはそうした自己点検を促す意図がある
- 『精神現象学』の告白と赦しの議論:
- 自分が誤っていたと認め、相手に告白する
- 批判する側も、自分は安全な場所から行動する人の過ちを責めていただけではないかと振り返る
- そのうえで批判する側が相手を赦す
- 双方の変化の重要性:
- 告白する側だけでなく、赦す側も変わることが重要
■ 4. ヘーゲルからマルクスへの研究経緯
- 研究の順序:
- ヘーゲルからマルクスへ進んだのではなく、マルクスを理解するためにヘーゲルを勉強した
- 『資本論』を読むにはヘーゲル『大論理学』を読まねばならないと当初は考えていた
- レーニンにも同様の発想がある
- 修士論文:
- 当初は『大論理学』を研究したかった
- 指導教員から、『資本論』と『大論理学』を関係づける研究はすでに多く、新しいものが生まれにくいと指摘された
- そのため『精神現象学』以前のイェーナ期の草稿を研究した
- 博士課程以降:
- 博士論文もヘーゲルで書く可能性はあった
- マルクスの新しい研究ノートを編集するプロジェクトに参加し、マルクス研究へ進んだ
- 参加がなければヘーゲル研究者になっていた可能性もある
- その場合もマルクス研究はやめず、マルクスとヘーゲルを二本の軸にしていたはず
■ 5. ヘーゲルとマルクスの関係
- 無理に結びつける必要はない:
- マルクスのなかにヘーゲル的な構造を読み込む「哲学的なマルクスの読解」は日本でも盛ん
- しかし『資本論』を読む場合、哲学的な枠組みを強く持ち込まないほうが生産的に読める
- マルクスの主張の核心はヘーゲルを経由しなくても理解できる
- 経済思想家としてのマルクス:
- マルクスを哲学者としてより、資本主義社会を分析した経済思想家として読む
- 初期と『資本論』の区別:
- 初期マルクスの疎外論などにはヘーゲルの影響が明らかにある
- ただし『資本論』のあらゆる概念をヘーゲルに還元する必要はなく、区別して考えるべき
■ 6. 有限性から考える自由
- 両者の共通点としての有限性:
- ヘーゲルは「無限」「絶対」を語るため、何でも包括する巨大な体系を作った人と思われがち
- しかし同時に、人間の認識や実践が有限であることを非常に重視していた
- その有限性は自由の問題と切り離せない
- マルクスの唯物論の出発点:
- 人間は身体をもつ存在であり、疲れ、傷つき、食べなければ生きられず、いつかは死ぬ
- 二十時間働き続けることもできない
- 生きるには物を作る必要があるが、そのための資源も有限
- 人間はこうした物質的な条件のなかに徹底的に組み込まれている
- 有限性の意味:
- 地球環境や天然資源の有限性だけでなく、身体をもち生きる時間に限りがあるという根本的な条件を指す
- 資本主義の「無限」との対立:
- 資本主義は際限のない成長や蓄積を目指すシステム
- その「無限」の運動に、有限な身体や生活がのみ込まれていく
- 両者に共通する問い:
- ヘーゲルとマルクスは異なる仕方で、有限な人間が自由に生きるにはどうすればよいかを考えた思想家