学会会長のSNS投稿に関する日本教育学会の対応について、疑問を提起したい。同学会は、SNS投稿をめぐる問題について倫理委員会の見解をまとめ、会員限定、かつ1カ月間という期間を設けて公開した。公開範囲と期間については、法人理事会で審議したという。私はこの対応に疑問を感じている。問いたいのは、倫理委員会の見解の当否ではない。日本教育学会という学術団体の意思決定、情報公開、説明責任のあり方である。
学会の自治と判断の独立性は最大限尊重されるべきだと考える。学術団体が政府や政治家、あるいはSNS上の世論に左右され、専門的判断を変更するようなことがあってはならない。学問の自由は、大学教員としての私にとっても譲れない原則である。ただし、学問の自由と学会の自治は同義ではない。そして、学会が外部から独立して意思決定することと、その意思決定について説明することも別問題である。自治とは、自らの判断に責任を持つことでもあるはずだ。
今回、特に疑問を感じているのは、倫理委員会による判断そのものではなく、その見解の公開方法である。倫理委員会による専門的な判断と、法人理事会による情報公開の判断は区別して考える必要がある。前者の独立性を尊重することは、後者の妥当性について問わない理由にはならない。なぜ会員限定なのか。なぜ1カ月なのか。公開範囲と期間は、どのような基準に基づいて決定されたのか。こうした疑問に対して、法人理事会は説明する必要があるのではないか。
もちろん、関係者の尊厳やプライバシーへの配慮は不可欠である。倫理に関わる審議には、非公開とすべき情報もあるだろう。すべてを公開せよと主張しているわけではない。しかし、個人情報を保護することと、判断の根拠や手続きを社会に示すことは、必ずしも矛盾しない。匿名化した要旨の公開、判断基準の説明、非公開とする理由の明示など、考えられる方法はある。公開によって生じる不利益と、公開することの公益性をどのように比較衡量したのか。その判断過程も含めて説明が求められる。
実際に、学会員からも見解の整合性や審議手続きについて疑問が提起され、見解の撤回や再審議を求める要請が出されている。これらの指摘がすべて正しいと決めつけるつもりはない。ただ、学会員が異論を唱え、学会がその内容を検討し、必要に応じて説明することも、学会自治の重要な構成要素ではないか。学会の自治は、異論や批判から組織を守るためだけにあるのではない。多様な意見が存在することを前提に、公正な手続きによって意思決定し、その正当性を確保するためにもあるはずだ。
研究者は、企業や行政機関、大学などの組織について、意思決定の透明性、説明責任、手続きの公正さを問い続けてきた。では、学術団体自身はどうなのか。他の組織に求めてきた原則を、自らの組織運営にも適用できているだろうか。学術団体も組織である以上、その運営や意思決定は検証の対象となる。学術的判断の独立性と、組織運営の透明性は対立するものではない。むしろ、判断の独立性を社会的に支えるためにも、手続きの公正さと説明責任が重要になると考える。
ここで問われているのは、学会と社会との関係でもある。学会は会員によって構成される自律的な組織である。しかし、その活動は会員だけで完結するものではない。研究成果を社会に発信し、専門的知見を公共的な議論に提供することも、学術団体の重要な役割である。社会的関心を集めた問題について学会として見解をまとめたのであれば、その公開範囲や説明のあり方についても、社会との関係を踏まえた検討が必要ではないか。
私が求めているのは、日本教育学会が、なぜ今回の公開方法を選択したのか、その根拠を明らかにすることである。特定の結論や処分ではないし、SNS上の批判に応じて判断を変更することでもないのだ。
会員限定という範囲は妥当なのか。1カ月という期限にはどのような合理性があるのか。非公開とすることで守るべき利益は何であり、公開によって実現できる利益をどう評価したのか。これらは、今回の事案に限らない、学術団体のガバナンスに関わる問題である。
学会の自治は、外部からの干渉を受けず、自律的に判断するための重要な原則である。しかし、それは自らの判断について説明しなくてよいという意味ではない。むしろ、自治を尊重するからこそ、その意思決定には責任が伴う。自治と説明責任は対立するものではなく、相互に支え合う関係にあると考える。日本教育学会には、今回の情報公開の方針と、その決定過程について、改めて説明を求めたい。
ロックンロール
PS リベラルのダブルスタンダードなどについて考察した、リベラルからのリベラル批判、そして自己批判の本『なぜリベラルは嫌われているのか』(星海社新書)を買って、読んでほしい。ぜひ。