■ 1. 『ヤニねこ』の概要
- 作品の位置づけ:
- 『ひだまりスケッチ』のような日常系漫画
- ヤニねこをはじめとする個性的な登場人物たちの交流を描く
- 人間と獣人という2つの種族の差別、軋轢、共存を描く作品
- 作品の魅力:
- ヤニねこがシケモクを拾って喜ぶ描写が面白い
- 同じアパートの友達や妹と仲良く暮らす様子が面白い
- 1話完結のため、ネットでどこから読んでも楽しめる
- 大家さんの登場による変化:
- 最初の数話は退屈で、大家さんの登場以降に面白くなる
- 大家さんは厳しくも優しく居住者と接する一方、獣人への偏見を隠せない欠点を持つ
- 互いの欠点を許し合う社会が必要だという読み方ができる
- 漫画も文学になり得る:
- 優れた漫画は単なる娯楽を超え、文学と呼ぶにふさわしいものもある
■ 2. プロレタリア文学としての読解
- プロレタリア文学とは:
- 労働者の文学
- 読者に搾取されている事実を気づかせ、団結させることを目的とする
- そのため、立ち上がる姿を作中で描くことが重要となる
- 『蟹工船』:
- 小林多喜二が1929年に書いた小説
- カムチャツカの海で蟹を缶詰にする船で、酷使された漁夫たちが団結してストライキを起こす
- 1度目は敗れて代表が連行されるが、最後はもう一度立ち上がって終わる
- 『ヤニねこ』との共通点:
- 日雇い派遣で、獣人だからという理由でひどい現場に回される話がある
- 団結しない作品は対象外という反論:
- ヤニねこは団結して搾取に立ち向かっていないため、プロレタリア文学ではないという指摘がある
■ 3. 『セメント樽の中の手紙』との比較
- 作品のあらすじ:
- 葉山嘉樹の短編小説で、『蟹工船』とは異なるタイプのプロレタリア文学
- 工事現場の男がセメント樽の中から、セメント袋を縫う女工の手紙を見つける
- 手紙には、恋人が破砕器に巻き込まれてセメントになったと書かれている
- 男は酒を煽って酔い、何もかもぶち壊したくなる
- 妻に子供たちはどうするのかと叱られ、お腹の中の7人目の子供を見て終わる
- 『ヤニねこ』に近い作品:
- 人が使い潰される現状に酒を煽るしかない点で、『蟹工船』よりこちらが近い
- 短い作品のため、一読を勧める
■ 4. ルンペンプロレタリアとしてのヤニねこ
- プロレタリアとみなす根拠:
- 働いているのにお金がなく、家賃も払えない
- 大層なものではないという反論:
- あまり働いておらず、お金もタバコで使い果たしている
- ルンペンプロレタリア:
- 団結せず、抵抗せず、社会の変革も目指さないヤニねこたちはこちらに近い
- ドイツ語の「ボロ」に由来し、階級としての意識を持たない最下層を指す
- マルクスは彼らを、革命の役に立たず、権力側に買収されやすい層とみなした
- マルクスの見方への反発:
- 最も困っている層を役に立たないと扱うのは、社会変革の目的に反する
- 作品の位置づけ:
- 『ヤニねこ』はルンペンプロレタリアの生き方を描いたプロレタリア文学
■ 5. 怒りの矛先のずれ
- アニメ最終話の内容:
- 打ち切り、クビ、理不尽なバイトで登場人物全員が限界を迎える
- ヤニが怒りをぶつけた相手は大家さん
- 庭を掃いているだけで暇だろうと毒づき、2階から水の入ったバケツをぶちまける
- 本当の相手ではない:
- ひどい目に遭わせたのは打ち切った人やクビにした人であり、大家さんではない
- 『セメント樽の中の手紙』の男が何もかも壊したくなるのと同じ構図
- 大家さんの立場:
- 家賃を滞納され、家庭菜園の野菜を食べられており、上の立場に見えない
- アパートの中では、搾取する側とされる側が分かれていない
■ 6. タバコと「宗教は民衆の阿片」
- 酒とタバコの類似:
- セメント樽の男の酒とヤニのタバコは同じ役割を持つ
- マルクスの「宗教は民衆の阿片である」の言い換えと捉えられる
- マルクス主義では、宗教は人々を酔わせて狂わせるもの
- 引用の前後の文脈:
- 出典は『ヘーゲル法哲学批判序説』
- 直前の文で、宗教を抑圧された生き物のため息、非情な世界の心情と表現している
- マルクスは、宗教という幻想を必要とする状況そのものを捨てろと主張している
- 作品への当てはめ:
- 悪いのはヤニねこではなく、ヤニに頼るしかない状況となる
■ 7. 貧困ポルノとしての読解
- 貧困ポルノとは:
- 見る側が安全な場所から貧しさを消費できるように演出した表現
- 『ヤニねこ』は同情ではなく笑いで演出するが、貧困を強調する点は同じ
- 猫耳美少女への置き換え:
- 猫耳の美少女にリアリティはない
- 可愛い女の子に置き換えることで、読者は貧しい人を自分と切り離して眺められる
- 中高年の男性であれば、哀れさが勝って見る気になれない
- 1話完結の構成:
- 状況が変わらないため、貧しさの原因は毎回ヤニねこ本人のだらしなさに戻る
- 社会の構造ではなく個人を笑う作りになっている
- 構造を描く話もあるという反論:
- 日雇い派遣や最終話のクビの話は構造を描いている
- ただし最後はオチに回収され、怒りは笑いに消化される
- 『セメント樽の中の手紙』は、セメントが何に使われたのかという問いを読者に突きつける
■ 8. 笑いの中身と読者の立ち位置
- 貧乏な当事者からの反論:
- 貧困ポルノ論を突き詰めると、貧乏な人の話は笑えないことになる
- 貧乏な当事者として、金がないのに腹が減る話や人の物を取る話に共感して笑った
- 見下して笑うことと共感して笑うことは別物
- 批判の焦点:
- 作品が貧乏な人々を関係のない別世界の存在として置いている点が問題
- 笑いの中身の違い:
- 同じ作品でも、杏子は共感で笑い、さやかは上からの優越で笑った
- ヤニねこの善行:
- 川で溺れている人がいればちゃんと飛び込む
- その際の掛け声は「よっこらセブンスター」
- 笑ってよいか迷う話:
- 公園で子供とサッカーをしていただけで不審者として通報される
- 実際に通報されてもおかしくないため、笑ってよい
- 貧困ポルノ論の修正:
- 貧困ポルノかどうかは作品だけでは決まらず、読む側の立ち位置で決まる
- ただし多くの読者は当事者の側にいない
- そのため、貧困ポルノとして読まれやすい作品である
- 両方の視点:
- プロレタリア文学と貧困ポルノの両方の視点で読むことが最初からの狙い
■ 9. 魔法少女と貧困ポルノ
- キュゥべえとの類似:
- キュゥべえから見れば、魔法少女も貧困ポルノの対象
- 魔法少女の絶望を安全なところから眺め、エネルギーとして回収している
■ 10. 終わらない日常の意味
- ヤニねこの不幸の見え方:
- ひどい目に遭っても、次の話では普通にタバコを吸っており不幸そうに見えない
- 同じ失敗を何度も繰り返すのは見ていて辛い
- 救いと終わり:
- 終わらないことは救いではなく、現状が続くことを意味する
- 救いはないが、終わりもない
- 『セメント樽の中の手紙』との共通点:
- 男も7人目の子供が生まれ、次の日もセメントを運び続ける
- どちらも立ち上がらない生活が続いていく