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「全部自分が悪い」ほと最悪の謝り方はない

開き直ったのかこういう謝罪をする人がたまにいる。

本人は「全て自分が背負います」と男らしさでもアピールしてるつもりなんだろうけどこんなに他人の心が分からない謝罪もない。

謝罪とは倍賞を認める契約の側面もあるがそれと同じ、いやそれ以上に相手の心に訴えかけて自分は現状をちゃんと把握しています自分たちは分かり合えますと示す行為だ。

そこで「全部自分が悪い」なんて言われたらこっちはどんな顔をすれば良いのか。

こんなもの相手からすれば「はいはい金なら払いますよ。頭も下げますよ」と言ってるのと一緒だ。

1つの失敗には多くの人間が関わっている。

謝られる相手だって「自分もこの失敗を防ぐために何か出来たのではないだろうか」と悩んでいるのだ。

それを真っ向から否定するのが「全部自分が悪い」である。

言ってる側からしたら「僕が本当に悪かった。貴方は素晴らしい人間なのに僕だけが間違っていた」とでも言ってるつもりかもしれない。

だが聞いている相手からしたら「お前なんて本当はどうでもいい。お前は最初から蚊帳の外だ。無関係なんだ。これは全部俺の話でお前は俺の目の前に現れた石ころにすぎない」と言われているようなものだ。

目の前の相手から「お前なんて居てもいなくても同じだ」と言われていい気分になる人間がいるだろうか?

「全部自分が悪い」ほと最悪の謝り方はない

まさしく増田の言う人間だった。他人の気持ちが分からない。

いつも通信簿には人の話を聞かない、相手の気持ちになれと書かれたけど、本や映画を見て普通に感動するし号泣するし、自分が悪いとは全く気がつかなかった。

謝る時は言い訳をしなかった。自分が悪いそれは確かだ、それでいいだろう、これ以上何を言ったら満足なんだ、そういう思考。自分が悪者になって損をすることが反省だと思っていた。

大分年を取ってから自分が他人の気持ちが分からない人間だったとようやく理解した。変わったきっかけは結婚と子供を産んだことだった。

原因は病院で診断した訳じゃないので不明だが、心当たりは母親のヒステリー。

いつもガミガミ叱られるので、黙って聞いたふりをするのが一番いいと学習した結果、本当に反省することも、相手を慮るという事も知らずに育った。

もし身近にこういう人間がいたら、反省とは何か聞いてみたらいい。長い時間落ち込むことだとか不幸でいることだとか自己犠牲を発揮することだとか思っている可能性が高い。

再発防止の為に原因を探る必要があること、あなたを不幸にするだけではこちらにはメリットがないと冷静に伝えて欲しい。

自己愛しか持ってないロボットだと思っていい。反省の定義を変更する必要がある。命令には納得すれば従うはずだ。

まさしく増田の言う人間だった。他人の気持ちが分からない。 いつも通信簿..