キューブラー・ロスによる5段階モデル(死の受容モデル)と、それへの代表的な批判について | KAIGO LAB(カイゴラボ)より。
第1段階:否認と孤立(denial & isolation)
自らの命が危機にあり、余命があとわずかである事実に衝撃を受け、それを頭では理解しようとするが、感情的にその事実を否認(逃避)している段階。
「なにかの間違いだ」というような反論をするものの、それが否定しきれない事実であることは知っている。
周囲は、この事実にもとづいて考えを進めているため、そうした周囲から距離を取り、孤立することになる。
第2段階:怒り(anger)
自分が死ぬという事実は認識できた。しかし「どうして悪いことをしていない自分がこんなことになるのか」
「もっと悪いことをしている人間がいるじゃないか」というような怒りにとらわれる段階。 ケースによっては、看護師などに対して「あなたはいいね、まだまだ生きられて」といった皮肉のような発言をすることもある。
根底にはやはり「なぜ、自分が」という、死に選ばれたことへの強い反発がある。
第3段階:取り引き(bargaining)
信仰心がなくても、神や仏にすがり、死を遅らせてほしいと願う段階。死ぬことはわかったが、もう少しまってほしい。
財産を寄付したり、これまでの行為も改めるといった「取り引き」をしようとする。なんとか、死を回避することができないか、模索する。
はじめは「死を遠ざけてほしい」という願いが「◯◯をするので、あと少しだけ」という具合に、取り引きの条件が自分に不都合なほうに変化することもある。
第4段階:抑うつ(depression)
「ああ、これだけ頼んでもダメか」「神も仏もないのか」というように、自分なりに神や仏に祈っても、死の回避ができないことを悟る段階。
悲観と絶望に打ちひしがれ、憂うつな気分になる(正確には、抑うつと悲観は異なる概念である)。
頭で理解していた死が、感情的にも理解できるようになる。神や仏の否定になるケースもあり、虚無感にとらわれることもある。
第5段階:受容(acceptance)
それまでは、死を拒絶し、なんとか回避しようとしていたが、生命が死んでいくことは自然なことだという気持ちになる。
個人差もあるが、それぞれに生命観や宇宙観のようなものを形成し、自分を、その中の一部として位置づけることもある。
自分の人生の終わりを、静かにみつめることができるようになり、心に平穏が訪れる。