仕事で英語を「毎日使う」「時々使う」を合わせても全就労者の15%以下なのに、なぜ全員が話せるようになる必要があるのか?グローバル化という言葉に踊らされていないか?面白い例え:社会に大工は必要だからと全員が大工の勉強する必要があるのか。
単に英語を日常的に使えるレベルの人材はさっさと海外に行くから、国内ではそういう数字になるだけのような気もする。
まぁ、大工の例えで言えば、そのような仕事と道具があって、その道のプロがいることを認識しておけばいい領域というのはあるだろう。
ではもうひとつ面白いたとえを申し上げますが、社会の全員が将来妊娠するわけではないから妊娠の知識は全員がもつ必要はない、といえるでしょうかぬ
さすがに比較対象が違いすぎて草生える。
敢えて並べるなら、現状どうがんばっても妊娠の当事者足り得ない男性は、妊娠という現象があるということだけ知っていれば十分だし、基本的にはその道のプロに任せることになるので、むしろ当て擦り対象の説を補強する結果になっている。