大学で牧師先生に、
「先生は本当に世界が5000年前に作られたって信じているんですか?」
と聞いたら、
「君たちだって理解できなくても科学を信じるでしょう?」
と返されたって話を思い出した。
同じような論法をキリスト教徒から直接聞いたこともあるけど、それはつまり「私は思考停止しています」という宣言でしかない。
しかし一方で、この理屈にも一定の理があることは認めざるを得ない。
現代科学で定義されている全ての事象・法則を自分で追試することは現実的ではないなので、科学的プロセスを経て結論づけられた概念・法則はとりあえず正しいのだろうと「信じる」ことしかできない。
それを信仰と呼ぶなら、確かにそれは信仰ではある。
ただ、ひとつだけ科学を擁護するなら、科学は常に誤謬の可能性を排除しない。誤りがあれば訂正するし、それが既存の理論を根本的に覆すものであったとしてもそれを受け入れることになっている。
しかし、宗教では教義の修正は行われない。根本的に教義を覆すような修正は特にそうだ。
どの道何かを信仰しなければならないのであれば、その一点だけで見ても科学のほうがマシな選択肢であるように思われる。