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プログラマになれなかったわたし

先達たちは、おしなべてこういった。

最初に学ぶべきは、コンピュータサイエンス。特にアルゴリズムとデータ構造だ。実践的なコーディングテクニックよりも、まず基礎だ。これはコードを書きながらではなく、文献から学んで欲しい。

次はソフトウェア工学だ。設計・開発手法や、テスト技法を身に付けて欲しい。これは学校でやっていなくてもOJTを通じて「まねぶ」ことができる。

ところが目先のコードを書き上げるのに手一杯で、先達たちが貸してくれた「参考書」を読む時間なんて無かった。…いや、ウソはいけない。「書き上げるのに手一杯」はウソだ。

(中略)

新しい記法、新しい技法、新しい用語、新しい言語を齧るたびに、成長した気になった。「速習」「すぐ使える」「かんたん」で始まる本ばかりで、入門から一歩も先へ進んでいなかった。

(中略)

認めたくなかったが、本当の意味でプログラマにはなれないことが分かった。使える言語は増えたが、どれも極めていない。とりあえず言われたことを書くだけの「コーダー」だった。

「書いてないことは書けません」が決めゼリフだった。(設計書に)記述されてないことは、(プログラムに)書けません、という意味だ。あの頃は勝利宣言のつもりだったが、振り返ると、コーダー宣言だったに違いない。つまり自分へのトドメ。あるいはプログラマとしての死刑宣告書へのサインだったのかも。

「コンピュータがどうやって動くか」の本質なんて変わってやしない。それに気づかないまま新しいモノばかり追い求めてきた結果がこれだ。SEとしても、コンサルタントとしても、PMとしても、偉そうなことをぬけぬけと言い放っているが、一皮むけばこんなもの。