私達に問われているのは、右派か左派かということではもはやないかもしれませんね。寛容の側に立つのか、不寛容の側に立つのか。あくまでも自由を守るのか、それとも敵対者を倒すために自由の制約を容認するのか。イデオロギーの垣根を超えて、議論し対話するべきときが来ているのかもしれません。
散々グローバル社会云々言われてるんだから、右派左派という区分自体が意味をなさないのは自明。
各々の立ち位置・信念に基づき、何を選択するのかを常時問われる時代である。
そして、そこに正解などはなく、その都度是々非々の妥協を強いられることになる。
実際問題、それは非常にしんどい事ではあるし、多くの人間には荷が重い。イデオロギーに逃げて思考停止した方が楽なのは事実である。
右派にせよ左派にせよ、そういう人間が激増しているのが実際のところではなかろうか。