返す返すも、なぜここまでリベラルインテリが論争的でなくなったのか、ということは考察の余地がありそうです。本来、人文科学って雄弁術であったと思うのですけどね。
結局のところ、人間の限界が見えてしまったことで当人達が自信を喪失してしまったのが最大の原因。
昔は恵まれた環境で生活し、ふわふわした理想論を謳い、インテリ同士が褒め合うというある種のクローズド・サークル活動だった。
現在はネットが発達し、かなり容赦のない批判が本人に叩きつけられるようになり、そこで人間性の馬脚を晒す事例が激増した。
結果的に、自分達が指向していた聖人君子など実は何処にもいなかったのだという現実に直面し、自信を喪失。論争から腰が引けてしまうという結果に。
実際問題、人間は精神の成熟を目指す前に生存を選択するし、生存が確保されたら快楽を指向する。
精神の成熟に意識が向くのは余程恵まれた環境の人間だけであるという事は忘れてはならないのだと思う。