米国ネバダ州東部の山の地下に、1万年にわたって時を刻む「時計」をつくろうというプロジェクトがある。その主体、「ロング・ナウ(Long Now)協会」(http://www.longnow.org/)代表のスチュアート・ブランド氏(65)は、1960年代のカウンターカルチャーとデジタル革命の連なりを象徴する存在だ。「遥(はる)かな時」の思考を提唱する、ブランド氏に聞いた。
●砂漠で動き続ける振り子
――「時計」の現状を教えてください。
「全長9フィート(約2.7メートル)の最初のプロトタイプはすでに(99年末に)完成して、ロンドンの科学博物館に収蔵され、実際に動いている。2番目のプロトタイプはやや大きくて、今年中には完成するはず。いずれも(スーパー・コンピューターの開発者)ダニエル・ヒリスの設計だ。今度は米国内の博物館と話をしようと思っている」
――その後のスケジュールは?
「はるかに時間がかかるのが、(全長60フィート・約18メートル程度の巨大な建造物になる予定の)『マウンテン・クロック』の方だ。設置するのはワシントン山といい、グレート・ベイジン国立公園に隣接しているかつての鉱山。おそらく10年以内にはでき上がるだろう」
「マウンテン・クロックの特徴は、なかなかたどり着けない、という点だ。この場所自体が、周辺の大きな町からは200マイル(約320キロ)以上離れている。さらに、見に行くには(標高1万フィート・約3000メートルの)ワシントン山を登るしか道はない。丸1日がかりだ。だがその山頂の景色、最古の木と言われる美しいブリストルコーン・パインの森、さらに『時計』がある地下に降りてからの体験、などを味わうことができる。ホテルはないから、キャンプをすることになる」
――「時計」は、どのような仕掛けなのですか。
「誤差は2000年で1日、と精密だ。電気は使わない。動力には気温の変化を使う。場所はネバダの砂漠。しかもほとんどが晴れ間で、日中と夜間の温度差が極めて激しい。この温度差によって伸縮する2種類の金属を使い、『時計』の振り子を動かすことができる。これは極めて少ないエネルギーでまかなえるが、これとは別に、今、何時かを示すディスプレイの動力は、はるかに大きな動力が必要。ネジを巻くとか、人が飛び乗るとか、何らかの人間の力が必要になる」
「(英国ミュージシャンの)ブライアン・イーノが1万年の間、毎日変化するベルの音色をデザインし、CDとしてもリリースした。10本のベルの音色を組み合わせるアルゴリズムを使っており、これが実際の『時計』のベルの音になるかもしれない」
―― 一体いくらかかるのでしょう。
「マウンテン・クロック自体は、1000万ドル(約11億円)から1億ドル(約110億円)の間。まず、これが一番費用がかさむと思うが、山の地下のスペースを掘削しなければならない。通路や展望、地下で観覧する際の安全対策の施設整備も必要だ。その他には、最初のプロトタイプが80万ドル(約8800万円)、いま製作中のものは100万ドル(約1億1000万円)を超すと思う」
「マウンテン・クロックに関しては、ミッチェル・ケイパー(協会理事・ロータス創業者)、ジェイ・ウォーカー(プライスライン・ドット・コム創業者)、ビル・ジョイ(サン・マイクロシステムズ共同創業者)からの寄付で、約180エーカー(約73ヘクタール)の敷地を購入できた。だが、『時計』の製作にかかる費用の調達は、これからだ」
●「我々には未来への責任がある」
ロンドン科学博物館に収蔵されている「時計」のプロトタイプ=ロング・ナウ協会提供
――これは、博物館みたいなものになるんですか。それとも、ワシントンのリンカーン記念堂のようなモニュメントに類するものですか?
「富士山と自由の女神の組み合わせかな。富士山の地下に大仏が鎮座しているイメージでもいい。遥かな時と未来に対する責任ということを考える、そのきっかけを与えてくれるようなものだ。マウンテン・クロックが自由の女神や大仏と違うのは、それが静かにではあるが動いている、という点だ」
――時計をどう維持していくか、という点で、約1300年続く伊勢神宮の式年遷宮を参考にしていますね。
「人々が愛情をもって維持していくことで、正常に機能し、美しい場所であり続ける、そのようなシステムとしての伊勢神宮を参考にしている。例えば米国では、国立公園システムが自由の女神や、4人の歴代大統領の顔を山肌に彫ったラシュモア山を管理しており、これに頼るというのも一つの手だろう。だが、今後数千年にわたってこのシステムが続くかというと、おそらくそれは期待できない。となると、『時計』を維持する人々、組織が改めて必要になる。伊勢神宮は、国としての日本というものが無くても維持されていくだろうか? おそらくはイエス、だと私は考えている。伊勢神宮を維持してきた日本の人々の心の有りようが、それを可能にするのではないか」
――このプロジェクトに関し、99年には「THE CLOCK OF THE LONG NOW」という本を出版されていますね。「ロング・ターム・シンキング」という言葉が、やや理解しにくいのですが。
「約1万年前にさかのぼる農耕文明からこれまで、多くの事柄は、遥かな時間の枠組みで考えられてきた。例えば宗教。宗教はあらゆる世代にわたって、伝統とともに自らの祖先とのつながりを考えさせる。ほとんどの宗教はこのような遥かな時間の枠組みをもっている。だが、その時間軸がやや過去に偏る傾向がある」
「一方で、現代の我々はより多くの科学的知識を手にしている。例えば地球規模の気候変動や天文学上の変化、といった知識。これらは遥かな時間の中で起こる事象だ。だが生態系や気候や遊星に、将来にわたって一体、何が起きるのか、かなりの程度まで知ることができる。それがわかっている以上、我々には未来に対する責任が生じ、責任ある行動が求められることになる。それこそが、この文明が行き着いた考え方だ。遥かな未来に対する責任。それを考える手助けをするのが、ロング・ナウ協会の仕事だ。『時計』は新たな1万年に向けて、『ロング・ターム』を実体化したツールだ」
●デジタルデータの問題点
――「1万年時計」のほかにも、協会では「ロング・ターム・シンキング」のための様々なツールを検討されていますね。
「ライブラリと呼んでいる、いくつかのプロジェクトがある。たとえばデジタルデータの保存の問題。(フォーマットやOSのバージョン違いなどによって)デジタルデータは概ね10年ごとに消滅してしまう。にもかかわらず、すべてはデジタルになっていく。たった10年前の情報すら引き継ぐことができない文明というのも、何とも無様だ。エジプトは王の墓を次の世紀へ、次の千年紀へと引き継いできた。デジタルデータが数千年にもわたって存続するなんて、今はまだ思いもよらない。ただ、ロング・タームを真剣に考えるなら、その手立てを考える必要も出てくるということだ。
ロング・サーバー・プロジェクトはその一つ。例えば最新のワープロソフトで作成した文書も、バージョンアップの果てに、ほんの数年後にはだれにも読めなくなるかもしれない。それを、もっと汎用性のあるフォーマットに変換し、保存し、孫の代にもデジタルデータとして読み取り可能にする。ディスクはネバダの山に、データの転送はウェブ上で可能、そんなプロジェクトだ」
――それは、オープンソースで、ということになりますか。
「私企業が所有するプログラムでつくったデータだと、そこが破綻してしまえば、まるごと使い物にならなくなってしまう。オープンソースなら、そういう意味ではより長く存続しそうだ。企業の破綻ではなくならないから。さらに、オープンソースのプログラムは、様々な人が少しづつ手を加え、常に改良されている。それは次の10年、次の世紀まで続くのではないか」
――ハードウェアについてはどうでしょう?
「それが問題だ。すべてのデジタル・ストレージは、永久ではない。それが、我々がロゼッタ・ディスク・プロジェクト(http://www.rosettaproject.org/)をはじめた理由だ。直径3インチ(約7.6センチ)のニッケルの円盤に超微細エッチングを施し、3万ページ分のテキストを格納することができる。デジタル機器ではなく、1000倍の顕微鏡でその文字を読み取ることができる。長期間の保存が可能という点で、磁気メディアや光学メディアよりは、紙に近い。世界の存在するとされる約7000の言語のうち、当初は1000の言語をこの円盤に『物理的に』保存しようというプロジェクトだった。現在はこの目標を、文献化されているといわれる4000言語にまで広げ、ウェブ上で収集作業を続けている。将来、大量のロゼッタ・ディスクのコピーが出回れば、3種類の文字を刻んだロゼッタ・ストーンよりは役に立つと思う」
●彗星に飛び立った「ロゼッタ」
―ロゼッタ・ディスクはすでに一部で実用化されています。
「今年3月、欧州宇宙機関(ESA)が(彗星〈すいせい〉チュリュモフ・ゲラシメンコに向けて)打ち上げた惑星無人探査機ロゼッタに、このロゼッタ・ディスクが搭載されている。このディスクを読むのがエイリアンなのか、未来の人間になるのか。少なくとも顕微鏡さえ持っていれば解読はできるはずだ」
――「ロゼッタ・ディスク」のアイディアは、日本の経典も参考になっているんですか?
「日本の称徳天皇が印刷させ、100万基の小塔に保存した経典の一部が、(法隆寺に)今日まで伝えられている。世界最古級の印刷物として知られる『百万塔陀羅尼(だらに)』だ。1000年以上の時を経ても残っている理由のひとつは、膨大な数のコピーをつくり広めた、という点ではないか。我々もこの『ロゼッタ・ディスク』を、あらゆるところに広めていこうと思っている。彗星だけじゃなくて」
――「ロング・ベッツ」(http://www.longbets.org/)というプロジェクトは?
「説明責任を果たす未来予測、ということを考えた。多くの人々は、極めて軽率に未来を予測する。そんな予測は、みんなすぐに忘れてしまう、とわかっているからだ。次の10年、さらには世紀にわたる、きちんとした科学的予測を行うことは重要だ。そのような思考のトレーニングの意味もある。だれが、何を、いつ、どのような根拠で予測したのか。『ロング・ベッツ』のサイトではそれを記録にとどめ、衆人環視の中で、参加者が未来予測を行う。掛け金は、勝者が指定した寄付先に贈られ、参加者の手元には一銭も残らない。私も『2005年8月現在、民主党員が合衆国大統領である』という予測をしている。『NO』に賭けているのはブライアン・イーノ。掛け金はそれぞれ500ドル。私が勝つと思っているがね」
――協会設立は1996年。来年はちょうど10年目にあたります。ロング・ターム・シンキングをめぐる人々の考え方がどう変わったか、それを測る基準はありますか。
「その点をメンバーと話し合ったことがある。ただ、このプロジェクトは、かすかに、少しづつ、といった類のものだ。伊勢神宮のようなロング・タームなものを支える動きが米国内で増えてきているのかどうか、科学的な研究があるなら見てみたいが、まあ増えてはいないだろう。長い目で見た一つの指標は、このプロジェクトがどれだけの資金を引き付けることができるのかということだ。これはかなり重要な指標だ」
●「ホール・アース・カタログ」とインターネット
――ブランドさんは、マルチメディア・イベントの先駆けとも言われる「トリップス・フェスティバル」(66年)などサイケデリック・ムーブメントの旗手として、また「ホール・アース・カタログ」(68年-71年、全米図書協会賞)発行といったカウンター・カルチャーを象徴する存在として、さらには「メディアラボ」(87年)などの著作によるデジタル革命についての取り組みでも知られています。
「当時、私が関わったいくつかの出来事は、社会、文化の領域での新たな、おそらくは重要な価値の創造と結びついている。我々が(当時は合法だった)サイケデリック・ドラッグを使い始めた60年代初頭、それは確かに全く新しい体験だった。一方では同じ頃、(マサチューセッツ工科大〈MIT〉で開発された)スペースウォーのようなゲームに見られるコンピューター利用が広まっていった。私はその両方の流れに関わっていた。コンピューターの加速度的な発展は、当時も重要な意味を持っていたが、さらにも増して重要になっていき、驚くほどの広がりを見せた。コンピューター利用、コンピューター・デザインの先駆者たち、ハッカーやもちろん普通のエンジニアも、その後も延々と活躍の場を広げていった」
「サイケデリック・ドラッグも、重要ではあった。ただサイケデリック・ドラッグの先駆者たちは、その後に続く大きなムーブメントにはならなかった。ドラッグそのものが排除されていった、ということもある。なおドラッグを使い続けるにしても、もうそれが未来への、別のどこかへの扉というわけではなかった」
――カウンター・カルチャーのスタイルを、「商品」の紹介と購入方法の提供という形でまとめた「ホール・アース・カタログ」を、今の若い世代に説明するとしたら?
「インターネットだ。インターネットがなかったから、本にした。グーグルとアマゾンとイーベイを組み合わせたようなものだ。そして、新たなパワーを与えてくれるツールに関心を持つ人々の、ある種のコミュニティーにもなった。そんな本だ」
――デジタル革命の最前線にい続けたブランドさんから見て、現在のインターネット、コンピューターの普及はどう映りますか。
「『情報は自由〈タダ〉を求める(Information Wants to Be Free)』と言ったのが1984年。それからちょうど20年になるが、今もなお、この考え方は有効だと思っている」
「デジタル革命はなお進行中で、次々にいろんな使い方を見つけ出してくる。ウェブログとかね。新しい事象を取り上げては、それに名前をつけて。日本のスクールガールが、新しい電子メディアのスタイルの最先端だと注目したり。この流れが止まる気配は見当たらない。インターネットや携帯電話などと競合するようなコミュニケーション・ツールは、今のところなさそうだ。テレパシーによる意思疎通は、すぐには無理だろうし(笑)。今のような形のコンピューター・コミュニケーションの技術が登場してから約50年。この流れは、あと30年ぐらいは続くんじゃないか」
●複雑化する著作権問題
「動いてはいないけれど、これも『時計』の試作品の一つだ」=サンフランシスコ・プレシディオのロング・ナウ協会で
――早くからデジタル著作権問題の複雑さを指摘していますが、現状はさらに混迷が深まっていませんか。
「ゼロックスがコピー機を登場させた時、多くの企業がこれを阻止しようとした。パーソナル・コンピューター用のソフトウェアが登場した時も、コピー阻止を図る動きがあった。そしてどちらの場合も、コピー阻止を狙った側が、多くの金をつぎ込み、それで何人かの弁護士がたんまり稼ぎ、そして結局は敗れた。だがこの数年、著作物のフェアユース(公正利用)が狭められていき、著作権を巡る議論はますます複雑になっている。利害関係を持つ企業も、コピー機の時に比べればはるかに多い。テクノロジーを使いたいと考える人々は、いくらコントロールをかけても迂回(うかい)し続けるだろう。インターネットには監視を逃れる術がある。コントロールを狙う側は、またそれを追う。その繰り返しだ。ただ、著作権のある部分は、本当に行き過ぎだ。あなたの書いたものが、(米国では個人の著作の場合)死後70年もの間保護されるなんて。イカレてる。こんなことは、そう続かない。裁判所が止める、というまで、何人もの人間が刑務所に入るのかね」
「(著作権の制度は)一定期間の専有は認めるが、その後は公有財産とする、という社会契約だ。これからもこの制度は何度も見直されていくだろう。だが、ひとつひとつの権利について、当事者が納得いくような形で合意を重ねていけば、いずれは事態は落ち着くのではないか。ゼロックスのコピーも、今ではあまり声を大にして文句は言わないだろう。ゼロックスで本をまるごとコピーするより、アマゾンで買う方が安いし。ナップスター現象に対応するものとしてiTunesのサービスも出てきた。99セントで簡単に音楽ダウンロード、実際にはもっと安くなるべきかもしれないけど。一つの解だろう」
――あなたは、コンサルティング・ファーム「グローバル・ビジネス・ネットワーク(GBN)」の共同設立者でもあります。
「フルタイムではなく、4分の1程度の時間をここの仕事にあてている。主に、やはり共同設立者で会長でもある(シナリオ・プランニングで知られる)ピーター・シュワルツのプロジェクトを手伝う、といった感じだ。例えばDARPA(米国防総省・国防高等研究計画局)のプロジェクトの一つとして、未来の量子コンピューティングに関する調査に関わっている」
――もっともぴったりする今の肩書きは何ですか?
「編集者。あるいは興行主(impresario)。つまりはイベントの編集者というところだ」