「心が折れる」とか「メンタルを削る」みたいな、「心」や「メンタル」を、「荷重制限のある素材」ないしは「有限な資源」として扱うものの言い方が一般化したことで、われわれの「心」なり「メンタル」なりは、おそらく、それらをあまり気にしなかった時代の強度を失っていると思う。
失っていたら何だというのか。
死が身近にある古代・中世・近世、そして戦時中の人のメンタルと泰平の世の現代の人間のメンタルを比較する事自体が愚物の発想。
過去の人々の「心」が強かったのだとすれば、それは弱いものは容赦なく淘汰されたからに過ぎないだろう。