物事はすべて相対的なものにすぎなくて、すべては「ひとそれぞれ」の認識でしかない、という言葉は「明確な立場を取らない」ということではない、そもそもどんな「意見」だろうが「考えの押し付け」にすぎない、だからこそ、そこには自覚的であるべき(わからないと客観的になれないから)という話。
おおかた、何かの立場を取っている人に対して「そんなの人それぞれだよね」(明確な立場を取るな)という言葉を言う人は、ほんとうに「人それぞれ」だなんて思っていない。
つまり「人それぞれ」「相手の意見も尊重しろ」と簡単に言う人は、前者は、自分に対する意見も「ひとそれぞれ」であることを棚に上げて、相手の言葉だけ糾弾しているのがおかしい、後者は、尊重されるべき意見はそれこそ人の数だけ存在するのに自分だけ棚に上げて相手を糾弾するところ。
ほんとうに「人それぞれ」だと思っているならいちいち言わなければいい、「人それぞれ」だと思っていないからこそ突っ込むんだから。
ただ認識を巡ってメタ的な考察をするさいの答えとして用意されているならそれはいいと思う、つまり、何か明確な目的や議論があって「人それぞれ」という答えが出るならそれでいい、簡単に「人それぞれ」というなら最初から黙っていればいいという話。
「人それぞれ」って「お前の話なんか聞きたくない」くらいの意味でしか運用されてないと思うわ。
「そんな決め付けの意見はやめて、もっとお互いを尊重して」がおかしいのは、この言葉が「自分と反対の意見」が出されたときに頻繁に使われるからだよね、〈尊重〉ってのが「自分と同じ意見になれ」くらいの意味で運用されてる。
お互いを〈尊重〉するのなら反対意見も尊重されるという話。
すぐ「人それぞれ」なんて言う人の口から語られることはおおかた下らないから「そうですか」って切り捨てるのがいいんだろうけど、性格が悪いから追及したくなる。
「お前の意見なんか聞きたくない」と最初から言えばいいのに、そういわないで「人それぞれ」とか「尊重しよう」って言葉でごまかすのが気に食わないんですね。
だから衝突を避けるためなら最初から言わなければいい、自分だけ相手に意見しといて、逆に意見されたら「人それぞれ」つって逃げるのが気に食わんって話ですよ、好意でもなんでもなくて、自分にとって都合のいい言葉を〈好意〉と言って逃げてるだけ、むしろ会話を断絶しているのは相手。