/note/social

私達の時代だけが無謬の真理を見失っていないと断じることは傲慢

私が自由を擁護する理由の一つは、私達が間違うかもしれないという可能性です。その時代の人々が許されないと思うことが、後の社会では真理であるとわかる、ということは歴史上数多くありました。私達の時代だけが無謬の真理を見失っていないと断じることの、なんと「傲岸」なことか。

@dokuninjin_blue

この人が常々述べている「差別表現を含むあらゆる表現は自由」と「しかしながら、不当な言説は批判されるべき」の両立性が疑問だったのだが、この人はそれらの評価は後世に委ねるという価値観なのだな。

あらゆる表現(発言)は自由。それを不当だと批判することも自由。それらの評価は当事者ではなく後世の人々がすればよいと。

確かにそれが妥当であるように思える。