「キモくて承認されないオッサン」を実際に救ってきたのはアニメやアイドルなどのオタク文化であって、リベラルの連帯などではないし、リベラルはむしろオタク文化をあの手この手で破壊しようとする側だったじゃないですか。逃避せず自己の加害性を見つめ続ければ気がおかしくなるのは当たり前でしょ。
新幹線の事件の犯人もドストエフスキーなどの文学を読み漁っていたそうだし、Hagex氏を刺した犯人も九大文学部卒でおそらく一般的なリベラル的教養はあったと思われる。しかしそうした教養は実際にその人の「救い」になるわけではなく、加害性を有する属性の場合とことん追い詰める要素になりうる。
教養があればこそ、自己評価と現実の自分のギャップに苦しむことになる。それなりの教養を身に付けながら人生が破綻した者は、過去の自分に絶え間なく罵られる。
それゆえ精神は鬱屈し、攻撃性が蓄積され、自らの内で他者への害意が増幅される。
ならば人類に教養は不要なのかというと、そういう訳でもなく。
人類に教養は必要である。しかしながら、それだけでは足りないというだけのことである。