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被災者がなぜ「軍服」を着なければならないのか

真備町で救出された被災者たちが身に着けていた(着けさせられていた)のは、なんと「迷彩色のライフジャケット」でした(写真左)。救出したのが自衛隊だったからです。

「迷彩色のライフジャケット」は言うまでもなく自衛隊員が戦場で使うことを想定して作られているもので、いわば「軍服」です。敵の目を欺く「迷彩色」にしているのはそのためです。被災者がなぜ「軍服」を着なければ、着させられなければならないのでしょうか。

こうした状況が、自衛隊という軍隊への抵抗感を薄め、逆に”親近感“を作り出す政府・自衛隊の政治的意図によってつくられていることは明白です。いわば「災害の政治利用」と言っても過言ではありません。

それはこれまでも災害のたびに言ってきたことですが、今回、被災者が「迷彩色のライフジャケット」を着させられているのを見て、別のことを考えました。

もし自分が被災者になって、救出にきた自衛隊に「迷彩色のライフジャケット」を着るように言われたら、どうするだろうか…。おそらく拒みきれずに着るでしょうね。

万一、徴兵制がしかれたときは「良心的兵役拒否」を貫くつもりですが、災害で被災した場合、「迷彩色のライフジャケット」くらいなら、「風呂」くらいなら、と思って受け入れるかもしれません。そうやって「軍服」を身に着け、軍艦に乗り、ある部分で自衛隊(軍隊)と同化する。これは、生命・生活の維持と引き換えに、「いかなる場合も軍隊を拒否する」という自分の信条を融解させることではないだろうか。

自衛隊は憲法の前文、9条に違反する明白な違憲の軍隊です。そう主張する声がだんだんかき消され、「世論調査」で圧倒的多数が自衛隊を容認・支持するという事態は、こうした政府・自衛隊の戦略によってつくりだされたものであることを銘記する必要があります。

左翼文学とは斯くあるべしと言った趣がある。