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『「記事の事前チェックをさせて当然」という考え方は害悪』は害悪である

「記事の事前チェックをさせて当然」という考え方はマジで害悪以外の何者でもないと思う。

事前チェックの有無が発生するという事は、いわゆるスクープ的なものではなく取材対象が同意の上で行われた取材だという前提で議論を進める。

ある人に「あなただから、取材してほしいんです」と言われて気づいた。おカネにはならなくても、私の視点か、報道する価値ってあるんだと。それがメディアの価値にもなるんだと。事前チェックって編集権を(部分的にでも)移譲させてしまうこと。自分の視点を、かんたんに渡してはならない。

これは取材対象とジャーナリストの価値観や思想が合致しているからこそ取材を頼まれているのだろう。取材対象が報道してほしい内容と「自分の視点」とやらが一致しているなら、それほど楽な話はないだろう。

そして、それは取材ではなく広報であると自分自身でも言っている↓。

「報道とは、誰かの報じられたくないことを報じること。それ以外のすべては広報(PR)である」 という有名な言葉があるけど、

そんな話を請けてる時点で、自分は広報屋でありジャーナリズムではないと白状したようなものである。数ツイートで自己矛盾していくような支離滅裂な人間がジャーナリズムを語ることがおこがましい。

でも結局、自分の書いたものに100%の責任を持てない記者 ≒ メディアなんて、二流でしかないんだよ。

100%の責任とは何なのか。具体的にはどのようなことをするのか。

報道被害が出るような誤報を出した場合は最低でも訂正記事及び謝罪広告の掲載・発生した損害の補填ぐらいはして貰わねば責任を果たしたと言えないように思うが、そのような経験はあるのか。

そのようにしているマスコミやジャーナリストは寡聞にして聞かないが、それはつまり日本でジャーナリストを名乗る人間には二流しかいないということであろうか。

本来(原則的に)報道とは広報のコントロール下に置かれてはならないもの。

当然そうであろう。しかしながら、それは意識だけ高まった自称ジャーナリストの独善性を許す免罪符ではないし、事前チェックを拒否する理由にもなっていない。

事前チェックはそもそも間違った内容が世に拡散されることを防ぐという大義がある。

仮に取材対象からNGが出たとしても、それが公益に適うと思うなら「NGが出た」という事実も含めて報道すればよいだけである。自分の書いたものに100%責任を負うならそうするべきであろう。事前チェックがあろうがなかろうが関わりの無い話である。

それでもなお、「事前チェックは害悪」と抜かし事前チェックを拒むなら、記事の末尾に「以上のように記者○○は理解しました」と付けるべきである。

事前チェックもさせずに取材対象だけに責任を負わせるような真似をするからクズなのだと言っている。