青識氏は「表現の自由」擁護だけど、それも、表現で斬られるほどの痛みを感じる、傷つく人のことを想定できなければ、単に自分は困ってないからってだけの無内容な議論でしかない。レイプ「表現」1つとっても、それで「楽しめる」人もいれば、目に入るたび絶大な苦痛を受けるサバイバーもいるんだ。
それはあらゆる表現に言えることで。
例えば、家族に虐待を受けてきた人は暖かな家族の物語に絶望と苦痛を受けるわけだけど、その物語は制限されるべきなのか。
例えば、敬虔なキリスト教徒はキリスト教を否定する書籍を目にして悲しみと苦痛を受けるわけだけど、それらの書籍は制限されるべきなのか。
例えば、先天性の障害で子供を作れない人が育児に関する雑誌を見て苦痛と悲しみを受けるわけだけど、それらの雑誌は制限されるべきなのか。
などなど。
特定の属性の人々の苦痛のためにある種の表現を規制するならば、その他の属性の人々の苦痛も考慮されなくては不公平だというのは道理である。
しかし、そうなれば、あっと言う間に表現の自由なんか無くなってしまうぞというのが青氏の危機感であり、それについては自分も同意である。
創作物や表現に傷つく人がいること自体は否定はしないし、殊更に他者を傷つけようとする表現は批判されるべきであるが、それはあくまでも批判に留めておくべきで、規制や禁止に踏み込む発想は危険過ぎるのだと言っている。
安い同情心で人類の自由を潰すことの有害さを理解しろと言っている。