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阪大を去るにあたって: 社会学の危機と希望

明日から京大に異動になります。阪大には6年間、助/准教授として働きましたが、本当に楽しい6年間でした。

最後に日本の社会学に対する危惧を一つ述べておきます。日本の社会学の特徴は、アカデミズムの軽視だと思います。すなわち、学会報告や学会誌を軽視しているということです。学会発表もせず、学会誌に論文を投稿もせず、それでも社会学者づらして本を出版したり、さまざまなメディアで発言することができるのが、日本社会学の実情です。このようなことが起きるのは、学会報告や学会誌が、新人の登竜門として位置づけられており、その評価が低いからだと思われます。エライ先生は本しか書きません。エライので査読を受ける必要もありません。こっそり紀要などに考えを公開することはありますが、人から評価されるのは恐ろしいので、学会誌には絶対投稿しません。出版社も本が売れさえすればいいので、研究の水準や主張の真偽は気にしません。エライ先生はシンポ等でのスピーカーを依頼されれば断りませんが、わざわざ学会発表なんて、バカバカしくてできません。大学院生たちもこのような先生を見て育ちますから、アカデミズムを軽視し、本に好き勝手なことを書くことを理想とするようになります。研究そのものから降りてしまい、研究成果をほとんど出さない人も多数あらわれます。

このような状況下では、専門家どうしの真剣な議論など望むべくもありません。分業という美名のもとに相互不干渉の縄張りが多数形成されています。国際的な競争力もつきません。日本の有名社会学者で海外でも名の知られている研究者が一体何人いるでしょうか。外国語で出版したり、国際会議で報告している研究者は、全社会学者の10%にも満たないのではないでしょうか。

私自身、大した実力がないので他人のことを厳しく糾弾する資格はありませんが、このような実情を思うとき絶望的な気分に襲われます。しかし、まだ希望を捨てたわけではありません。希望はあります。

このような状況の原因は、アカデミズムの軽視であり、同僚の社会学者の軽視です。アカデミズムとは、集合的な真理探究のシステムです(「真理」という言葉が嫌ならば、真理を何か適当な言葉に置き換えて読んでもらっても結構)。学界は、集合的な知識産出のシステムであり、相互評価と相互のアドバイスの場でもあり、研究者間の競争の場でもあり、政治的な闘争の場でもあります。私は、私個人よりは社会学界という集合的な場のほうを信頼しています。個人も社会学界も間違えることはあるでしょうが、個人のほうが、社会学界よりもよく間違えると思っています(そのメカニズムを数理モデルで定式化しろと言われればできそうな気がします)。それゆえ学会発表や学会誌は重要なのだと信じています。私個人の研究者としての力は大したことはありませんが、学会大会や学会誌をうまく活用することで、自分の研究を育ててきたのが、他の日本の社会学者には稀な、私の強みであると思っています。

これまで何回も学会発表や投稿をして、無力感にさいなまれたり、悔し涙を流したことも1度や2度ではありませんが、しかし、それでも達観した風を装って、学会や学会誌から逃げている連中よりは、私のほうが絶対ましだという確信が私にはあります。

研究はコミュニケーションです。専門を同じくする社会学者を説得できなければ、十分な水準の研究とは言えません。「結論は出ない」とか「『真理』は存在しない」とか「自分が納得できればいい」といった逃げ口上は通用しません。結論がなく、『真理』が存在しないとしても、論文のクォリティは評価できますし、「自分が納得できればいい」だけならば、そもそもその人の研究は何の役にも立たないわけですから、そんな人に研究費や給与を税金や授業料からねん出すべきではありません。院生ならば構いませんが、評価してくれる人がいなければ研究者として就職できません。

「アカデミズムという形式に縛られず、自由に議論したい」という人もいるでしょうが、それならば、学者はやめてしまえばよろしい。東浩紀のように評論家になるなり、ジャーナリストや小説家やアーティストになればいいのです。社会学者という肩書で語る以上、アカデミズムの権威のうえに乗ることになります(その点、東浩紀はいさぎよいというか、好感度が非常に高いです)。つまり「厳密に論証しろ」という要求には、「自由な議論を抑圧するな」と反体制ぶって見せるくせに、対外的には社会学者として語るという欺瞞は見ていて不愉快極まりありません。

長々と書いてきましたが、年寄りがこんな文章を読んだからといって今さら研究スタイルを変えるとは期待していません。しかし、私よりも若い人々には期待しています。国際的に通用する、明快で厳格な論証を心がけてください。売れるかどうかで研究を評価しないでください。それは素人の評価であって、本当に書いてあることが「正しい」という保証にはなりません。自分の力を過信せず、学界をうまく活用してください。特に匿名の査読はあなたに対する本当の評価を知る上で有益です。同業者とのコミュニケーションから逃げないでください。学界で書き続けること、発言し続けることこそ研究者のあかしです。