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社会学では査読論文より著書を重視する文化でそれで学術的クオリティが保たれるシステムもあるらしい?という話。

以下、気になった箇所の抜粋。

査読がないということは、論文が出ていたとしても、その研究内容の最低限の水準担保の保証さえないということ。

もちろん学問の性質上査読がなじまない学問領域もあろうが、海外に目を向ければ社会科学分野も論文の査読システムは回っているわけで、学問の内在的性質とは考えにくい

査読論文が全てみたいなのは理系(自然科学系)の、それも全ての分野ではない(情報系とか会議の方が大事って言いますよね)仕組み・慣習なので常に真ではない。

査読論文いくつとかIFがどうのって基準はある意味仕事の中身を見なくても研究者としての評価付けを可能にするシステムなんだよね。研究分野が多彩化し、研究成果の情報が大量に行き交う現代においてはそれなりの合理性のあるものだと思っている

つまり、査読が全てではないというのは分かるので、そのうえでどうやって業績を評価する仕組みでその分野の学界が動いているのかは興味がある。自然科学者だって査読システムより効率的な方法があるならそうしたいのだ。

文化なだけでそれが保証していることにはまったくならないと思うんだが…。人気だったら正しいみたいな話?

まとめ主本人含め理系や周辺分野からのフォローが続々集まる中、当の社会学者らからの丁寧な説明が一向に出て来ない辺りに一層闇を感じる訳だが。