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フェミの文学的被害感情について

このようなユートピア思想は、およそ成熟した大人の考えとは思えず、幼児の駄々にさえ近い。なぜそのような要求ができるのかといえば、ひとえに「弱者」という被害者自認のためでしょう。

ツイフェミにおいては達成すべき目標があるわけでもなく、実現不可能なユートピアを夢見て、ツイッターで日々の不満を垂れ流しては、それらの元凶と考える「男」を叩いて溜飲を下げているだけです。

「あらゆる局面で包括的に配慮せよ。なぜなら女性は『弱者』だから」

これこそがツイフェミの基本姿勢であり、自分たちはあくまでそのままでいいという考えなのです。

男女問題を突き詰めると、辿り着くのはいつも女性の「出産機能」と「身体的な弱さ(由来の暴力への恐怖)」であり、そうした生物的な非対称性がある限り、女性の被害感情は永久に解消されないのかもしれません。そして、根本的に解消しようのない「永久被害感」を逆手にとって、さまざまな要求を突きつけられている、というのが男性側から見た実感ではないでしょうか。

「『わたし』も被害を受けた。そしてこういう事件が起きた。日 本 の 全 女 性 は こうした男社会の被害に遭っている」

と急拡大させる言い方です。よく見かけますね。

ツイフェミの間では、こうした自他境界の区別がつかない、「集団的人権」を主張するような言葉がしばしば発せられます。