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小宮先生「どっちもどっち」

これは誰に向けるわけでもない独り言ですが、「Aはよいか悪いか」のような争いのある規範的問いを詰めて議論しようと思うと、大体結論はどちらでもありえて、片方の結論が他方の結論を完全に排除するような議論をできることなんてほとんどないんです。

@frroots

だから大抵の場合重要なのは結論よりも理由のほうで、学術的には理由の分節化がどんどん細かくなっていって、同じ結論の立場どうしでも全然理由が違って議論をたたかわせることになる。

@frroots

それはバーンと結論出してアジるようなのとは真逆の、みみっちく見える細かい論点へと議論を分解して分解して分解して個別に考えていく作業ですが、でもそういう作業をしないと多くの問題はちゃんと考えられない。

@frroots

結論で人を分類して敵味方にわけ、相手を無理矢理どこかの結論に押し込め説明を要求し、自分の結論を支持できる理由であれば深く考えずに飛びつく、みたいなことしてても長い目で見たら何も残らないので、もうちょっと「結論はおいといて理由を分解する」作業に慣れることができたらなと思います。

@frroots

そのほうが結論と自分との距離を取れるし、↓のような悪循環に陥らずにすみます。主題が自分にとって大切なものであればあるほど。

批判に対する防御反応が攻撃性に転化して、攻撃性が強すぎる主張を導いて、強すぎる主張が批判を呼び込むという悪循環はいろんなところで起こってる感じがある。もうちょっと主張と人格を切り離せればいいんだろうけど。

@frroots

@frroots

お前、本当にいい加減にしろよという感想しかない