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天才の存在は納得できるが、劣等生の存在は納得できない

世の中には天才がいるという理屈はみんな案外納得するのに、世の中に普通にできるはずのことをできない人がいるという理屈はあまり納得してもらえないのなんなんだろう。

@keitrust000

参考:人間は、自分にできることをできない奴を許さない - note.dev1x.org

人類がリアル・サバイバル生活を強いられていた頃は、とりあえず生存可能な個体が平均(あるいは下限)であった。

一方、生存に必須な技能を持たない個体(=劣等生)は、そもそも環境が生存を許さないため(幼少期に死亡するなど)、平均的個体がそのような個体を目にする機会は意外と少なかったと予想される。

したがって、平均的個体群にとって己より劣った個体を認知する能力を獲得・強化する必要性は薄かったと推測できる。

平均的な個体より、特に生存に有利な資質を持った個体(=天才)は、数は少なくとも特別な存在として崇敬されただろうし、場合によっては伝説的な存在となったはずである。

結果として、天才という存在は人類の文化の中で普遍的な概念となったことが想像できる。

これらの認知機能は、現代に生きる我々現生人類にも継承されていることは想像に難くない。

つまり、我々は自分より劣等の個体が存在するという事実を本質的な意味では理解できない為、自分という平均的個体がこなせる作業をできない個体がいることを俄には信じられず、認知的不協和を起こしてしまうのではないだろうか。